写真が現れた頃、「魂を吸われる」という都市伝説があった。
「真ん中は早死にする」なんてのは、
僕が学生時代まではあった心霊写真の常識。
電話の「もしもし」もその名残。
妖怪は二度同じことを言えないから、
電話の向こうが妖怪でないことを確かめるために、
「もしもし」「もしもし」と互いに確認しあう。
(柳田國男が研究していた)
パケット通信が出た頃文字化けがいろいろあって、
これは「通信網に潜む幽霊の仕業」
という都市伝説があってすごい面白かった。
つぎはゾルタクスゼイアン。
だいぶ前から知られたネタだけど、
ようやく普通の人にまで浸透してきたネタだ。
しかも異星人とか人工知能組織とか、
尾ひれがつき始めていて面白い。
MJ12やイルミナティやニューワールドオーダーとも、
関係しているかもしれないし、
311や911に関係しているかもしれない。
あとアポロ計画もか。
これらは、
「未知のものへの恐怖」から生まれる。
人工知能や音声認識技術が、
「よく分からない未知のもの」
だから、
人はそれをゴースト化する。
ゴーストとはつまり、恐怖心の擬人化だ。
死は未知だ。
幽霊や死後の世界や神は、
その恐怖を納得するための擬人化された物語だ。
伝染病は未知の恐怖だった。
だから感染者を魔女扱いした。
これも未知の恐怖を擬人化したものだ。
日本にいる「見たら死ぬ」系の妖怪は、
たいていは伝染病の擬人化だ。
宇宙はどうしてはじまったのか?は未知で恐怖だ。
だから私たちは、
それを擬人化できる物語を欲する。
「この宇宙は何者かによって作られたシミュレーション」
というのはよくある都市伝説(物語)だが、
それも擬人化された物語な訳だ。
(そもそもその外の世界はどうやって作られたか?
に答えられていないから、欠陥のあるストーリーだ)
未知のものへの恐怖を説明する擬人化物語は、
物語っぽい形をしているが、
「その全貌が分からない」
ことも特徴で、
「全く分からないのではなく、
擬人化物語によってちょっとわかった気になるが、
やっぱり奥底まではわからない」
という特徴をもっている。
だから
「不気味だから、近づかないようにしよう」
と考えるようになる。
ゾルタクスゼイアンも地球人を監視しているから、
「むやみにSiriに問わないこと」
なんて都市伝説が追加されている。
これは、
「川のそばは河童がいるから近づかないように」
という物語と同一構造である。
つまり、
人類は同じ物語のガワ違いをやってるだけである。
次のテクノロジーでも同じことが起こるだろう。
ドローン配達システムにも幽霊が出るし、
軌道エレベーターにも妖怪が出るし、
コールドスリープにも神や悪魔がやってくるだろう。
狐憑きと言う名の、
統合失調症を幽霊や精霊の仕業と怖がり、
隔離するのは、
人類の限界的特徴であるかもしれない。
それを「触らぬ神に祟りなし」なんて諺にまとめていたりもする。
社内で厄介者扱いされる曲者は、
たいていこうやって忌避されている。
まったく馬鹿の極みだ。
小学校のクラスのレベルではないか。
物語は、理解の形式である。
ぼくはそう思っている。
「わかったぞ!○○は○○なんだ!」
を提出することが、
物語のゴールだ。
ゾルタクスゼイアンも、
イルミナティも、
狐憑きも、
完全に解明された時に「わかった!」
となるはずだ。
しかし解明されないから、
「近づかないでおこう」と封印する。
不気味な、完結しない、解明されない物語によって。
一方、私たちは、
「わかった!」に帰着する物語を書かなければならない。
だから難しいのだ。
人が「わかった!」と膝を打つ構造をつくることは、
とても難しいからだ。
だから、
「いまいちわかった、と言えないんだよねえ」
ばかりが作られて行く。
それはよろしくない。
ゾルタクスゼイアンを増やしているに過ぎない。
さて。
都市伝説を生んでいるのは、
そのような「わかった!」というスッキリしたストーリーを、
作ることができない、
中途半端なライターの仕業かもしれない。
ゾルタクスゼイアンの都市伝説を見ると、
「出来ていない物語」の特徴が散見される。
もう少し練られて、
さらに都市伝説化していくだろう。
そうそう、「口裂け女」の都市伝説は、
はじめて「塾に行かなきゃいけない子供の世代」
が誕生した時のものだそうだ。
小学校が終わってどっかで遊んで夕方には家に帰れた生活が、
学校から塾に行かねばならず、
日が沈んでから帰らなければならない、
不満や不安の擬人化が、
口裂け女だったのだ。
都市伝説は不安の時代に流行る。
私たちは、「わかった!」を提供するべきだ。
2018年08月14日
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