2018年08月17日

【薙刀式】薙刀式の運指重視

指運びを重視する、運指を重視する、
というのは当たり前のようでいて難しい。
考え方がひとつではないだろうからだ。

薙刀式の運指は、
「指が途切れないこと」
みたいな感覚を一番重視している。


たとえば「しょうがない」。
(RI)L(FJ)MK ()は同時押しの意味。

指が連続して隣に次々に動いていく様が分かるかと思う。
これが「アルペジオ重視」「一筆書き」のように、
と言っている薙刀式の代表的な運指だ。

従来の運指理論ではよく嫌う同指縦連、
この場合JMも薙刀式では良しとする。
それは「軌跡が途切れるよりも、つながったほうがいい」
と考えるからである。

従来の運指理論では、人差し指を連続二回使うことを嫌い、
どっちかを左手の指に回すことが多い。
JMの代りにJSとかJDとか。
そうすると「軌跡が飛んでしまう」と、薙刀式では考える。

薙刀式の運指上の特徴は、
なるべく見た目でキーが隣同士、斜め移動でつながっていくことだと思っている。

それは、筆で書いていくことに近いと思う。

それが何がよいのか。

たとえ運動特性上不利だとしても、
「言葉と運動単位がひとつになっている」
ことを重視している、と僕は考えている。

いや、僕の生理上の欲求のもとに薙刀式は並べられてきたのだが、
言葉にするとこうなんだなあ、
ということにようやくたどり着いた、というべきか。

だからなるべく指が飛ばずに、
隣の指に、隣のキーに、
アクティブな部分が動いていく感覚があると思う。
もちろんそれを100%乗せることは原理的にできないから、
なるべくそうして、無理のある部分は左右交互にしている。
で、悪運指をなるべく避けて、
なるべくつながるようにして、
現在に至るわけである。

何が大事かというと、
「言葉の単位と、指の軌跡の単位が合うこと」
だと僕は考える。

僕の脳内発声の様子をなるべく効率的に指の運動に変換した結果、
言葉の単位(これは音声のように一文字一文字出てくるのではなく、塊として存在する)
と指を合わせる生理が働いたのだろう。

脳内発声がある人は、
親指シフトの運指のように逐次で処理しているのかもしれない。
しかし脳内発声がないということは、
概念単位で存在するから、
それが運指の一単位になりたいんだよね。
そんな感覚。

そして、
「どの言葉を重視して優先的にいい運指にするか」は、
その作者のボキャブラリーや判断力に依存することになるだろう。
もちろん統計の参考もあるものの、
最終的には作者の感性で決まるからね。

飛鳥配列の場合、
僕と言葉のチョイスが違っているような感覚があって、
それでも薙刀式のような、
運指単位が言葉の単位になっている構造を感じることが出来た。

その感覚にくらべて、
その後ためした下駄配列では、
もとになっている新JISの基本設計思想にそういうものがないのか、
言葉単位と運指単位のつよい結びつきはなかった。
(ばらばらと指が動いていた記憶はある)
一部のアルペジオが気持よいので、習得や運用は楽だった。

親指シフトだと、
そういうつながりを感じるのが小指への接続くらいしかなくて、
豆を拾っている、点の感覚になっていた。
(練度が足りなくて、そこどまりだった可能性もある)

新下駄はまだ未知数。



物書きというのは、言葉を単位に生きている。
統計で良く出る単位で生きていない。

飛鳥も薙刀式もそういう立場で作っていて、
下駄や親指シフトは、
そうじゃない立場で作っているんだなあ、
ということが分かってきた。

これは、
「指を何を根拠に動かすのか」という、
「動きの意味」みたいなことになってくる。

「その動きは〇〇という概念を表しているのだ」
という、
新しい一筆書き言語を、
僕は作っていただけなのかもしれない。


手話は、そうなっているんだよね。
音の一対一対応じゃなくて、
ひとつの動きがひとつの概念に対応している、
一種の外国語なんだよね。
(手話でケンカしている二人を見たことがあるが、
力強くめっちゃ速く手や腕を動かしていた。
言葉が身体表現なんだなあと思った)
もちろん50音表現もあるから、
知らない言葉が分からないときはそれで対処するらしいけど。

運指という手話を、
僕は作っていたのかも知れない。
だから指が途切れず、
一筆書きで言葉単位をつづっていくことが、
僕にとって一番重要だったのかもしれないなあと。


だから薙刀式で書くときは、
なるべく運指がひとつづきの曲線になるようにすると、
スムーズに打てるかもしれないです。


よくある機械的な運指の測定方法は、
デジタル的に指の移動距離(ホーム段からの単純な足し算)を測ることが多いけど、
始動、運動、曲線、停止、
という3次元運動に必要なカロリーを、
あんまり計算に入れていないように思う。
僕らの指は機械的に直線、停止、じゃないからね。

武道やダンスのように、
最小の動きが最大の効果になるように、
身体的に洗練されていくんだと思うよ。
(まあそうなると機械的に計算できない、という問題もあるのだが。
モーチョンキャプチャで計算とかできるのかな)

カタナ式も薙刀式も武器の名前を取ったのは、
そういう無意識が働いていたからかもしれない。

動き即言葉という、身体言語を意識していたかもなあ。


そんな洗練も、
もう完成だろ、だってこれ以上ないもん、と思う領域にきていて、
最後の調整中です。

次のv9で完成かもしれない。
(飛鳥の例があるので、
安易な完成宣言はやめた方がいいとは思っているけど)
posted by おおおかとしひこ at 14:59| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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