時々こう聞く人がいる。
プロデューサーや編集の人だろう。
あなたはまじめに考えて、
「自分の作家性とは何か、
独自性や長所は何か」などを突き詰めて悩む必要はない。
仮に、
「女子高生を書くのが大得意です!」
と答えたとしよう。
合格だ。
彼らは売れるものを欲しがっており、
それは理解不可能で微妙な何かよりも、
ごくな分かりやすい単語で分類したい。
「女子高生のゆれ動く気持ちが得意」などと、
言葉を難しくしないことだ。
だったら「エモいのが得意です!」くらいにカテゴリーを落とそう。
揺れ動こうがパンチラだろうが、
彼らにとっては「女子高生」と分類できればそれで良い。
せいぜい彼らの頭の中には、
「アクション」「エロ」「グロ」
程度の3ジャンルぐらいしかなくて、
その中のどこの箱に入るかを見ているだけなのである。
そしてさらに彼らが聞きたいことは、
「好きなことで執念を燃やせるか」である。
つまりそれは、
「ギャラ以上に働いてくれるのは何か」
を聞いているわけだ。
彼らは安く上げたいのだ。
しかし安いギャラではろくなものがないのも知っている。
だから、
「たとえ安いギャラだとしても、
得意なこと、好きなことを嬉々としてやってくれて、
ギャラ以上の働きを好きでカバーできる人」
を探しているのだ。
つまり、
彼らの頭の中の3ジャンルのどこに入るかを分類できて、
かつ買い叩ける人を、
彼らは探しているだけだ。
作家性?
そんなのどうでもいい。
あればラッキー、なくても女子高生というだけで売れる。
しかも安く叩けそうだ。
作家性なんて難しいものは私はわからないので、
あなたに任せます。
それが現在の正直な、
「あなたは何が書きたいですか?」
と聞く人の正体だ。
あなたは真面目に作家性のことを考える。
自分は他の人に比べて何が出来るのか、
歴史的に見て何がオリジナルなのか。
生まれ育った地方や文化を活かしたり、
グローバリズムとの距離感を見たり、
偉大なる作家を分類して、
空いている席を必死で探しているだろう。
そのことを言葉にすると、
何百字、何千字にもなるから、
とても一言で言い表すことは出来ない。
だから精々過去に書いた、
断片的なものを紹介するに留めて、
相手に首を傾げられる。
そもそも過去に書いたものはすでに書いたもので、
次に書くものが書きたいもので、
それが見つかっていれば書いているはずで、
書いている時にそんな話をすることはあまりなくて、
見つかっていない暇なときの方が確率が高くて、
やっぱり書きたいものについては曖昧になる。
しかも、
「自分はこういうことが書きたかったのか」
と、書いているうちに発見することの方が多い。
Aを書こうと思って書き始めたら、
Bがその奥底にあるのに気づき、
これはBという話だったのだな、
となることはたくさん経験している。
Aだと事前に言うことは無駄なハッタリで、
Bだと事前に知ることは不可能だ。
だから真面目に考えれば考えるほど、
「書きたいものは特になくて、
次に書きながら発見するでしょう。
ちなみに過去に書いたものにはこういうものがあり、
こういうことが得意な人だと思われている節があります」
と答えることになり、
「女子高生が書きたいです!」
というバカに、
仕事を取られるだろう。
そしてその人は、
女子高生を書いてそこそこ売れて、
しかし女子高生を書いてるだけで楽しくなってしまい、
ギャラを安くされてこき使われて潰されて、
次の才能が出てきたら捨てられて、
もう作家性のかけらもない、
ゴミ箱になるだろう。
そして「スター不在」と彼らは言い、
新しく面接に来た人に、
「あなたは何が書きたいですか?」
と聞くだけだ。
僕が忠告したいのは、
そんなバカと付き合うな、でもないし、
うまく距離を取れ、でもない。
それはそれでやっていけ、
しかしそれはわかった上で、
別の至高を追求する場を持て、
ということだろうか。
素晴らしいプロデューサーや編集者などもういない。
日本の会社システムは沈みかかっていて、
育てる余裕などなくて、
死ぬ前に儲けられたらいいや、
というやり逃げ人生ばかりである。
彼らをある程度儲けさせて、
それだけに専念しすぎないことだ。
あなたはやり逃げの協力者になってはいけない。
次の時代を作る文化を創造するべき人だ。
「あなたは何が書きたいですか?」
と聞く人に、
全てを開示する必要はない。
その人の欲しがっているものと、
あなたがすり減らされてもいい部分の、
妥協点を見つけて答えればいい。
逆に、
「あなたは何が欲しいですか?」
と僕は最近聞いている。
2018年08月18日
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