2018年08月20日

アクションシーンはどう書くのか

殴る蹴るの細かいところも全部書くのか?
そうではない。
監督がやる。
正確にいうと、アクション監督がやって、
監督は希望を伝えるだけだったりもする。


ナイフを構える。
刺す。
しかしそれをかわしてナイフを奪う。
もみ合い、転がる。
起き上がってナイフを振り回したとき、キックで弾く。
パイプを拾う。
しかしジープが入ってきてバズーカを撃つ。
外れる。しかしその衝撃で天井が崩れ、
二人は生き埋めになる。
「やったのか?」
だがそこから立ち上がる敵。


などのように、
おおまかな動詞で記述できるところはしても良い。

その方がイメージしやすいからね。

でもこの通りになるとは限らない。
その場の空気感で、
天井が崩れるほどのロケ地が見つからないかも知れないし、
ジープに似合わない場所かも知れない。

アクションも、もっとリアルな殺陣にする手もあるし、
もっとカンフーっぽいのにする手もある。
戦闘訓練を受けてない設定なら、
そもそもびびってそんなには動けないだろうし。

それらは全て監督の領分で、
説明がめんどくさいので「演出」と一言で言う範囲の中にある。


上のように詳細に書くのと、

A、B、格闘の末、
ついにAを抑え込むことに成功する。

は、脚本の機能上同等だ。
むしろ、
具体は置いといてもストーリーがどうなるか、
その進行のわかるほうが優秀な脚本だったりする。

イメージを全て書く必要などないし、
あなたの頭の中のイメージが最高とも限らないし、
出来上がったものが最低ということも勿論ある。


つまり、脚本が手を出せるのはイメージではない。
常に因果関係と展開と台詞だ。


レディプレイヤーワンの貧民街が、
頭の中で作っただけの実在性の薄いペラペラなイメージでしかないのは、
全く監督の責任であり、
脚本には「未来の貧民街」としか書いてないわけだね。
(精々、
「ドローン配達のピザを受け取る人」、
「VRゴーグルでエクササイズするおばちゃん」、
くらいは書いてあるかもだ)


因果関係としては、
「未来の技術が浸透してはいるものの、
昔ながらの長屋の人間関係、
しかし誰もがここを脱出したいと思っている」
ということがあれば良くて、
脚本の要求する設定をフィルム上で描けてないわけだから、
スピルバーグは監督として減点だ。
「予算がないからこう見立てた」も通用しないしね。



具体的なディテールはどうでもいい。
ディテールはストーリーの仕事ではない。
ストーリーの仕事は、因果関係と展開。

脚本家がこだわれるディテールは、
台詞の一言一句だね。
posted by おおおかとしひこ at 10:19| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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