殴る蹴るの細かいところも全部書くのか?
そうではない。
監督がやる。
正確にいうと、アクション監督がやって、
監督は希望を伝えるだけだったりもする。
ナイフを構える。
刺す。
しかしそれをかわしてナイフを奪う。
もみ合い、転がる。
起き上がってナイフを振り回したとき、キックで弾く。
パイプを拾う。
しかしジープが入ってきてバズーカを撃つ。
外れる。しかしその衝撃で天井が崩れ、
二人は生き埋めになる。
「やったのか?」
だがそこから立ち上がる敵。
などのように、
おおまかな動詞で記述できるところはしても良い。
その方がイメージしやすいからね。
でもこの通りになるとは限らない。
その場の空気感で、
天井が崩れるほどのロケ地が見つからないかも知れないし、
ジープに似合わない場所かも知れない。
アクションも、もっとリアルな殺陣にする手もあるし、
もっとカンフーっぽいのにする手もある。
戦闘訓練を受けてない設定なら、
そもそもびびってそんなには動けないだろうし。
それらは全て監督の領分で、
説明がめんどくさいので「演出」と一言で言う範囲の中にある。
上のように詳細に書くのと、
A、B、格闘の末、
ついにAを抑え込むことに成功する。
は、脚本の機能上同等だ。
むしろ、
具体は置いといてもストーリーがどうなるか、
その進行のわかるほうが優秀な脚本だったりする。
イメージを全て書く必要などないし、
あなたの頭の中のイメージが最高とも限らないし、
出来上がったものが最低ということも勿論ある。
つまり、脚本が手を出せるのはイメージではない。
常に因果関係と展開と台詞だ。
レディプレイヤーワンの貧民街が、
頭の中で作っただけの実在性の薄いペラペラなイメージでしかないのは、
全く監督の責任であり、
脚本には「未来の貧民街」としか書いてないわけだね。
(精々、
「ドローン配達のピザを受け取る人」、
「VRゴーグルでエクササイズするおばちゃん」、
くらいは書いてあるかもだ)
因果関係としては、
「未来の技術が浸透してはいるものの、
昔ながらの長屋の人間関係、
しかし誰もがここを脱出したいと思っている」
ということがあれば良くて、
脚本の要求する設定をフィルム上で描けてないわけだから、
スピルバーグは監督として減点だ。
「予算がないからこう見立てた」も通用しないしね。
具体的なディテールはどうでもいい。
ディテールはストーリーの仕事ではない。
ストーリーの仕事は、因果関係と展開。
脚本家がこだわれるディテールは、
台詞の一言一句だね。
2018年08月20日
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