最初に触れた時は同手シフトのほうが打ちやすいかなと思ったけど、
慣れてくると異手シフトのほうが打ちやすい気がするのだが。
「つかむ」ことをやめると楽になれる気がする。
異手シフトでシフト側、
同手シフトで濁音半濁音小書き、
そういうのを試した人いないのかな。
ぱっと探したがいないので、やってみた。
結果。
シフトが左右にバタバタするときにイライラする。
交差が繰り返されて、訳が分からなくなる。
左は左、右は右でまとめといたほうがいいようだ。
親指シフトの欠点は、
シフトの左右のバタバタかもしれない。
これを嫌った飛鳥は連続シフトに移行したんだなあ。
ううむ、親指シフト系列の歴史を経験しただけでした。
親指シフトの不満はいまのところ、
・句読点が打ちづらい
・異手シフトが混乱する
・左右シフトがバタバタすることがある
(先日も指摘した「キーボード」など)
・運指の流れがちょいちょい途切れる
あたりのような感じだなあ。
配列改良の歴史って、
「こっちの方がいいからやってみ?」ではなく、
「これは不満だからこういう風にマシにしました」
の歴史じゃないかって思う。
「なんとかなんないのか」→改良
のループじゃないかと。
だから利点を語るよりも、
「これをする必要はもうないんです!」
のほうが響くのかもしれない。
ということは、不満を貯めた人しか、
配列変更の動機にならないかもしれない。
快楽が続いても快楽を溜めることは出来なくて、
苦痛が続くと苦痛は蓄積する。
そのへんが動機になっている気がする。
(薙刀式で言うと、
もう小指に悩まされることはなくなり、
拗音や外来音の打ち方で悩むことはなくなり、
たどたどしい迷路のような運指はなくなった)
親指シフターが、
対qwertyローマ字とJISカナ比較でしかものを語らないのも、
他に配列があることを知らない情報弱者ではなく、
出来た当時での不満解消しか材料がないからかもしれない。
飛鳥や蜂蜜小梅へ移行した人は、
ニコラの苦痛からはある程度解放されたはずで、
「解放されました!」よりも、
「苦痛だ」のほうが数が多い(蓄積)から、
ネットには「飛鳥や蜂蜜小梅のほうが全然いいぜ!」
が溢れていないのではないか。
(特に小梅、トロン系のものが調べられず、
未だに小梅、蜂蜜小梅がどういう配列なのか
深く理解していないありさま)
親指シフトなどの配列に変える必然性あるのか?
今のローマ字のままで過不足を感じていないなら、
そのままでいいんじゃない。
速くなるとか楽になるとかで利点を語るよりも、
「あの苦痛から解放された」ことのほうが、
配列変更者の正直な気持ちじゃないかなあ。
少なくとも僕はqwertyローマ字が苦痛で苦痛でしょうがなくて、
二度とあんなもので原稿を書く気がしない。
100万貰っても断るかもしれない。
それぐらい嫌だ。
15枚(6000字)ぐらいまでなら、500万で考える。
それくらいの苦痛の対価。
本題に戻ると、
左右にバタバタする親指があるから、
親指シフトはそんなに速くない配列かもしれないなあ、
なんて思った。
少なくとも使い手を選ぶかもと。
僕が左右入れ替えが特別苦手かもしれない。
薙刀式をセンターシフトにした理由は、
同手と異手を使い分けるのに苦痛があったからだ。
(ミラー現象に悩む人は僕に似ているかも)
それを思い出した実験でした。
2018年08月24日
この記事へのコメント
コメントを書く