2018年08月25日

好きな場面を繋げても、ストーリーにはならない

好きな場面がたくさん浮かぶ。
それを上手いこと並べることがストーリーだと思っているとしたら、
間違いである。


好きな場面を並べるのは羅列や陳列だ。

八百屋の棚と同じである。

まさか八百屋に、
「これはどのような順で並んでいますか?」
などと問う人はいないだろう。

売れ線のものを目立つ位置に置いて、
定番のものは定番の位置に置く程度だろう。

ペアにするのがいいものは隣に置いたり、
コントラストがつくようなものを隣に置いたり、
グラデーションがつくものを順に置いたり、
程度の工夫はするかもしれない。

しかしそれは、
二次元の配置であることに注意されたい。

二次元空間の中に、
関係性という一次元軸を見出して、
埋め込んで行くことが、
陳列や羅列である。


全ての要素に関係性が出来た時が、
陳列の最終形だけど、
それよりだいぶ手前でも陳列は完成するだろう。

見栄え良くならんでいればおおむね正解だ。



これにくらべて、
ストーリーを書くことは、
一次元に陳列することである。

一次元とは時間のことだろうか。
それもある。

旅の思い出写真は、
出発、行きの行程、現地着、最初の夜、二日目…
などのように時系列で並べるものである。

それはストーリーか?
僕はそれだけではストーリーではないと思う。

じゃあストーリーってなんだ?
どう並べるのがストーリーになるのか?

ストーリーになるのは、
それらが一本の因果関係で繋がれたときだけだ。

つまり、
最初の場面が原因になり、
次の場面が結果になるときが、
最初の二つの場面がストーリーになっている、
ということを意味する。


旅行の例で言えば、
やべえ!寝坊した!→急いだ→間に合ったー!
となっていれば、
(面白いかどうかは別として)ストーリーになっているわけだ。
ただ起きた、乗った、はストーリーではない。
そこに因果関係がないとストーリーにならない。

そして、
「次の場面も、前の場面からの因果関係を引き継ぐ」
がそれがストーリーでありつづける理由である。
走ったので喉が渇いた→小銭がねー!
→トイレの水道飲んだ→腹の調子おかしい
などなど、適当に因果関係をつないでみた。

場面と場面は、
これらのように、
原因と結果の関係でつながれる。
かっこよくいうと、因果の鎖である。

そして、
冒頭の場面から結末の場面まで、
順番に因果の鎖で繋げたときに、
ストーリーが出来た、というのである。

AゆえにBになる→BゆえにCになる
→CゆえにDになる→…
YゆえにZになって、おしまい。

場面はいくつあるかは不定だが、わかりやすくZで表記する。

長編を書くことが難しく、
短編を書くことが容易であるのは、
これからも推測できる。

因果のつなぎのパターンを考えだし、
どんどん繋げて行くことは、
場面の数が増えるほど困難だからだ。
(比例関係なのか二乗に比例するのかは分からない)

そして問題のZ。
(仮に二場面で終わったとしてもラストをZで表記する)

Aゆえに始まった一連の騒動が、
どのように決着したかという、
最終結果を示すわけだ。

もうそれ以上ややこしいことは起こらない、
ようやく落ち着いたエンドである。

それが終わった瞬間、
人は面白さを確定する。

途中面白かったとしても、
Zが面白くないと微妙である。

つまりZが一番面白くないといけない。

途中の、○ゆえに×…という展開が面白かったとしても、
「Aから始まった全ての場面が、
Zに集約される」が面白くないと、
面白い話とは言えないのだ。

これもまた、長編がなぜ難しいかを示している。
こりゃ困難だ。


さらに、
「で、結局A…Zにどういう意味があったんだ?」
と、完結したときに人は思う。

その一連の因果関係に、
ラベルを貼って理解して記憶したい欲望があるからだ。

寝坊の例でいえば、
「前日ちゃんと寝とけばよかったのに」
という意味の落ちになれば、
Aの寝坊から一連にちゃんとつながり、
「寝坊はダメ」
というラベルが貼られるだろう。

その、
因果関係とラベルの貼られ方こそが、
ストーリーの面白さである。

だから、例に出した「寝坊はダメ」は、
あんまり面白くない話である。

あなたは、
面白いストーリーをつくらなくてはならない。


それはつまり、
「AとBが因果関係で繋がれ、
BとCが…
…YとZが繋がれて、
かつA-Zが一本の線になったとき、
このような意味を持つ」
もののことである。


これがストーリーの要求する必要条件全てだ。

好きな場面をただ繋げても、
ストーリーにならないのはそういうわけだ。
陳列と因果の鎖は、性質が異なるのである。


それは自分の作品でなく、
他人の作品でやってみてもよくわかる。
あるストーリーの好きな場面だけを切り抜いて、
繋げてみよう。

たしかに好きな場面だらけになって興奮するが、
それはダイジェストに過ぎないことがわかるだろう。

それは一度因果関係を理解しているから興奮するのであって、
ダイジェストをもって優れたストーリーであるとは言えないわけだ。


昔僕はガンダムが大好きで、
グフ対ガンダム、赤ズゴック対ジム、トリプルドムなどを並べて、
夢想に入っていたことがよくあった。

しかしそれらを並べても、ストーリーにならないのはなぜだろうと、
言葉にならないが考えていたと思う。

ランバラルの驚き、シャアの復活などは、
この場面つなぎからは出てこない。
ハモンラルの復讐劇も出てこない。

ああ、場面を繋げても、
それは羅列なのだなあと、
中学生頃の僕は思っていた。



あなたが好きな場面を、
上手に繋ぐためにはどうすればよいか?
ダイジェスト、陳列でよいなら好きなように並べなさい。
DJ的な繋ぎのテクニックやエフェクトだけが重要になるだろう。

もしストーリーにしたいのならば、
AゆえにB、BゆえにC…
YゆえにZ。
かつ、AゆえにZ、
と因果の鎖で繋がるようにすることだ。

全ての場面がそのようにつながらないなら、
「繋ぎの場面」を創作して、
繋げることである。

そのように繋げることこそが、
ストーリーにおける繋ぎのテクニックなのだが、
それは見た目では分からない
(論理構造を考える必要がある)ので、
素人目にはDJ的なエフェクトをつなぎと勘違いさせている。


場面は何故繋がれるのか?

時系列でつないだり、
好みでつなぐだけなら、
それは八百屋の棚と同じだ。
ストーリーではない。

全てが「必然性」で繋がれた時だけ、
それはストーリーになる。


「ここに必然性がない」などと指摘が入るのは、
ストーリーの不備を指摘しているわけである。


あなたの仕事は、
好きな場面を作ることが1、
必然性を作ることが9である。
posted by おおおかとしひこ at 14:44| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。