今複数のカナ配列を行き来している。
勿論薙刀式がメインだけれど、
隣の芝は青いのかどうかを確かめたいこともあるし、
僕の知らない指の合理を体験したいというのもある。
薙刀式に取り入れられるだろうか、という助平心もある。
で、配列を切り替えたときに見られる現象について。
いわゆる「脳内ローマ字変換」がどのようなものか、
体感でわかってきた。
具体的には今、
薙刀式、親指シフト(ニコラ)、新下駄を毎日触っている。
薙刀式は1200字(変換後)/10分ペース、
親指シフトは1秒1打、
新下駄は2秒1打くらいかな。
薙刀式の速度が頭打ちになってきたので、
新しい血を入れたいと無意識が思っているのかもしれない。
で、複数の配列を切り替えると、
面白い現象が見られる。
しばらく打っていると消失するので、
人間の適応の過渡期に現れる感覚と推測される。
親指シフトに切り替えた時は、
「う、んに小指の重心を置いて、
同手シフトでシフト文字、異手で濁音だな」
という意識がしばらくある。
新下駄に切り替えた時は、
「人差し指がう、んだな。
中指と薬指がシフトで、アルペジオを意識するぞ。
左上が、は、に、だったな。
拗音は右上段と左のマトリクスか」
なんて意識がしばらくある。
薙刀式に切り替えた時は、
「ある、ない、するがここで、
濁音は人差し指同時押し、拗音も同時押しだな。
言葉を一筆書きするように。
そうそう、TYで候補選択、エンターはVMだったわ」
なんて意識がしばらくある。
つまり、
それぞれの配列の特徴を、
頭の中でなんとなく思い浮かべながら、
実際に指を動かしていくことになる。
たとえば車に乗っていて、
自転車に乗り換えたとしよう。
そうすると、
「漕ぐ時は重心に気をつけよう。
ブレーキは右が前輪だな。
曲がる時は濡れたマンホールとかで滑らないように。
あと歩行者や段差や車に注意だな」
と意識を切り替えるだろう。
そんな感覚。
で、しばらく触っていると、
そのような「注意意識」は消失して、
道具と自分だけがその空間にいるようになる。
ところで。
Qwertyローマ字に切り替えると。
「そうだ、子音と母音に分けなきゃな。
んは2回だっけ。yで拗音で、子音二回で撥音だな。
ーは右上で遠いなあ」
なんてことを意識するようになる。
この注意意識こそが、
親指シフターのいう、
「ローマ字は脳内ローマ字変換が必要で面倒」
の正体じゃないか。
親指シフトで無意識レベルまで打てるようになったあと、
ローマ字に切り替えると、
しばらくこの意識がずっとある。
小一時間も打てばそれは消失して無意識になるが、
そこまで我慢する人がいないだけのことでは?
逆にローマ字で無意識に打てる人が、
親指シフトに切り替えた瞬間は、
「同手シフトと異手シフトの意識切り替えが面倒で、
小指の位置を意識しないといけない」
と愚痴を言うのではないだろうか?
で、どちらも、
「時間が経てば慣れて無意識になる」
と反論するのではないだろうか?
「脳内ローマ字変換」の論争は、
どちらも無意識レベルに詰めていない人が、
互いに配列を切り替えて起こる現象を、
理解していないことから来る、
誤解でしかないのではないか?
外国に行った時、
「カバンをぼーっと置いてはいけない」
という意識を常に持たないといけないのは、
日本人にはとても面倒だが、
何日かすると慣れて来る。
何日かしないうちに「だから外国は」、
ブリブリ文句を言っているのが、
親指シフターの「脳内ローマ字変換」ではないだろうか。
どんなものにせよ、
配列を切り替えた直後には、
そんな意識がしばらくあるんだよね。
消失するまでやりこんでいないだけだと思う。
じゃあQwertyローマ字は免罪されるかって?
打鍵数という圧倒的な罪があると思う。
スピードはロールオーバーでかわせたとしても、
疲労はどうしようもない。
また指の使用頻度分布は異常で、
大量使用は指を壊す恐れが高い。
僕はこれで何万字も書くことは断る。
(親指シフトはこれよりは改善させてはいるものの、
問題はたくさんある)
ああ、色々やってみるとわかることも沢山あるなあ。
みんな試しにやってみればいいのに。
エンターとBSが遠い配列は、
僕はどれも勘弁してほしいね。
薙刀式はそこが楽でしょうがない。
入力して、変換して、確定して、戻って修正して、
までが入力だと僕は思うので。
(新下駄、親指シフトの小指外BSは悪くないけど、
小指伸ばしが僕にはつらい。
消しゴムを小指で操っているようでなんか心許ないし。
エンターの位置が正式に決まっていないのも、
配列としては不備だと思う。
まあ薙刀式と同じにしてしまえばよいのだが)
2018年08月26日
この記事へのコメント
コメントを書く