さらに議論を続けよう。
見たい場面はいくつあるか。
人によるが、その場面を並べてみたまえ。
その場面になぜなったのか、
その前の場面をかんがえなさい。
いくつかの場面の連続の末そうなったのなら、
それも書きなさい。
それより前のこれこれがあったから、これになったのだ、
という因果関係をつくるのである。
そのうちその場面がどういうことから出来上がったのか、
最初の一点まで行くだろう。
それを、複数の見たい場面で、つくる。
さて、それらは一本の線につながるだろうか。
つまり、
Aの場面の結果をうけてBの前段につながり、
その結果Bになり、それゆえCの前段になり、
そしてCが起こる、
というようになっているだろうか。
なっていれば完成だ。
しかしたいていはつながらない。
因果関係で一本にはならない。
Aの結果、どうなるかを書いてみる。
その結果、次にどうなるかを書いてみる。
その結果、Bの前段の最初の場面になるかをチェックする。
まだつながらない?
じゃあ、Aの結果、違う流れになることを妄想しよう。
とくに決めていなかったとしても、
違う流れになってもいい。
またBの前段が、その流れからBに入る必然性もないとしたら、
まったく別の前段からBに流れこむこともあるだろう。
それらを複数考えるのだ。
そのとき、Aの結果を受けた場面から、
Bの原因になる場面に繋がる場面を、
思いつくかもしれないわけだ。
そして、これが繋がるまでパターンを変えて考えるのである。
テヅカチャートによる訓練を続けていると、
ある場面の原因になる場面をさかのぼって考えられるようになる。
またある場面の結果を受けて、次になにが起こるかを考えられるようになる。
しかもひとつではなく、複数のパターンでである。
つまり、ある場面を固定した、
パラレルワールドのようなバターンを作り出すことが出来るはずだ。
それが複数パターン思いつけば思いつくほど、
テヅカチャートの訓練が出来てきた証拠である。
これは妄想力、嘘をつく力、
そのパターン化しない柔軟な姿勢、
意外なことに気づく力、
たくさんパターンを作れる力、
など、
総合的に鍛えるには最適な訓練法だと思うので、ぜひ実践されたい。
で、それらが鍛えられていると、
「Aの結果ゆえ、こうなってこうなって、
その結果、Bの原因になるシーンが来る」
ように作ることが出来るのである。
(すべてのABについて出来るようになるか?
それは誰にも分らない。
すべてのABが出来るようになったらどんなにいいかと思うが、
そこまで我々は全能ではない)
これが出来たらしめたものだ。
あとは同様に、C、D……とつないでいけばいいはずだ。
もちろんこれは原理的な話なので、
すべてのABCD……にとってつなぐ線の存在があるかどうかを予言しない。
また、
解のパターンはひとつではないし、
それがいくつあるかもわからないし、
必ずおもしろい解かどうかもわからない。
詰まらない繋がりしかないかもしれないし、そうじゃないことも証明できない。
テヅカチャートを日々訓練していると、
「これとこれはなんとか繋げそう」
「これとこれはこれを作るとすごく面白くつなげる」
「これとこれはどうやっても繋がらない」
「これとこれを繋げるには、面白い手段が見つかりそうにない」
という感覚が出来てくる。
車庫入れの感覚のようなものだ。
最初はどの場面もつながる気がしないが、
やっているうちに成功例を学び、
使えるパターンが増えていく。
あるいは、
他人の作品でうまいことやっている例を見るようになるから、
それを自分のパターンに取り入れようとする。
それを繰り返して、
どんどん自分のパターンが増えていく。
たとえば「どんでん返しをする」
という見たい場面の要求に対して、
「死んだと思ったら生きていた」しか思いつかない人でも、
「実は双子の兄がいた」
「この世界は偽物だった」
「実は死んでいた」
なんてパターンを使えるようになる、ということである。
どんでん返しじゃなかったとしても、
もっと小さな場面でも、どんどんパターンを吸収して、
使えるようになっておくと、
場面と場面をうまい事つなげるようになっていく。
プロフェッショナルが苦労するのは、
この場面とあの場面をつなげるときである。
魔法使いではないから、
すべての場面をつなげるわけではない。
しかしある程度訓練を積んでいれば、
ある程度はつなげるようになるものだ。
では、そうやってすべての場面をつないでいけば、
ストーリーになるだろうか?
いや、それでも因果関係でつながったにすぎず、
それが無理がないとか、自然であるかとか、
面白いとか、わくわくするとかスピード感があるとか、
そうなっていないかも知れないのだ。
それが自然で面白い展開のストーリーじゃない限り、
ストーリーとしては不合格なのである。
だから見たい場面をつなぎ合わせていく方法論は、
得策ではない。
とても難しいバイパス手術を何度もするよりも、
最初から自然な展開が出来るように、
世界を設定して、人物の目的をつくり、
それを追って展開するように作ったほうが、
圧倒的にエネルギーが少なくて済むのである。
場面と場面をつなぐのは、創作カロリーが高いのである。
それはたいていうまくいかなくて、
無理があって、
訓練を積んだとしても、
せいぜい自然に見えるつなぎになるレベルにとどまり、
「面白い」レベルにまで到達することはまれなのだ。
だからプロは、場面と場面をつなぐような、
効率の悪いことはしない。
もちろん、そういうこともないわけではない。
どうしても見せたい場面があり、
それをうまい事つながないといけない、
と頭をひねって考えることもある。
しかしそれは難しいうえにカロリーを使うので、
数えられる回数しかやりたくないよね。
我々は魔法使いであるが、
無限回数魔法を使えない。
MPは使うたびに減っていく。
(焼肉である程度短期的に回復する。
沢山の名作を見て、長期的に蓄積することで、長期的に回復する。
だから短期間に考えすぎると、すり減って壊れる。
しかし短期間に考えまくって、
ギリギリまでやって爆睡して回復することを繰り返すと、
超回復して鍛えることが可能だ。
つまり鍛えることとすり減ることは紙一重で、
そこを見極めることはなかなか難しい。
ここまで出来るか? という自分のラインを見極めていけるかがポイントになるだろう。
昔は段ボールひと箱まで自分を鍛えるのが常だったが、
最近そこに至るまえに根を上げる弱ものが増えているようだ)
で。
うまいこと場面をつなぐことは、
不可能ではないが難工事だ。
それが名作になる確率は、低い。
(漫画の名場面を抽出してつなげた原作映画が詰まらない理由はこれだ。
つなげているが面白くないか、
そもそもうまいこと繋がっていないかの、
どちらかだからだ)
最初からつながりと場面を一体化してつくったストーリーのほうが、
圧倒的に一体感があって、
順に展開していくので、
面白いはずだ。
ということで、
場面をつなぐやり方は、
実戦上まったく重要ではない。
もちろんテヅカチャートのような鍛え方は、
いつでもしたほうがいい。
自分のカードや魔法は、多いほうがいい。
困ったときに使える手法は、いい。
手塚治虫も、
ストーリーを考える訓練法としてこのやり方を推奨していただけで、
これがそのまま実戦に使えるかどうかまでは言及していない。
しかし、足腰を鍛える方法として、テヅカチャートを推奨していたのは確かだ。
見たい場面をつなげる?
ナンセンスだね。
それでテーマが浮き彫りにされる、
必然性のあるストーリーが作れるなら別だが。
テーマを語り、完結するストーリーというものは、
つくり方が全然違うのだ。
2018年08月28日
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