何故数をやるのか。
僕は必ず数をやれ、と口酸っぱく言っている。
しかし初心者にはこれはそもそも難しい。
一本つくることすらできないのに、
何本も作るなんて土台無理だ。
でも、数をつくらないといけないことがある。
こなれているかどうかを、人は見るからだ。
たとえば、
女慣れしているかどうかを、女は見る。
食事にスムーズに誘えるか、
ベッドにスムーズに誘えるか、
断り易いようになっているか、
そうなったとしても安心して今後の関係を続けられるようにスマートになっているか、
などを女は見る。
それは、初手ではできない。
こなれていないとできない。
エアで練習はできるが、
実際のところこなれるには、
実戦を積むしかないだろうね。
物語も同じだと思う。
女と同様、観客は、全自分をその間に預けるわけだから、
大丈夫ですよ、慣れてます、
ということになっていないと安心できない。
あれ、スムーズじゃなくてすいません、
とかになっている人を、人は安心できない。
プロの作品ならなおさらだ。
これで大丈夫、安心して泣いたり笑ったりできる、名作なんだ、ってのを、
初手から出すべきである。
しかし出す側からしたら、
そんなに自信あふれるように行動なんて、
なかなかできないものである。
このダブルスタンダードをまずは理解することだ。
与えられる側は、最高のものしか求めていない。
微妙な初心者のものはいらない。
与える側は、おどおどしながら与えている。
これがどういうものになるか、自信が100パーないまま、与えている。
その、彼我の差を理解することだ。
だから自信を持て、というのは精神論に過ぎない。
いま自信がないものを、自信があるようにふるまったって、
ばれるだけだ。
最高のものが出来たからといって、
プレゼン慣れしなければ、
人に堂々と勧めることすら難しい。
ということは、
最高のものをつねにつくり、
それを嘘つくことなく、最高だよ、
とプレゼンできなければいけないのだ。
どうすればそれが出来るようになるか、
僕にもわからない。
でも、最初の作品でそれをやれ、
というのはあまりにも無茶というものだ。
だから、数をこなせ。
女と一緒だ。
実戦をやっているやつは、強い。
やっているうちに、こなれてくるだろう。
オープニングから事件までの流れるような導入とか、
新キャラ登場のワクワク感とか、
出オチにしないストーリーラインとか、
どんでん返しの感覚とか、
感情移入の良さとか、
秘密をどう暴いていくかとか、
危険でどうハラハラさせるかとか、
キャラの魅力で引っ張っていくとか、
最高のカタルシスで終わり、
最高の幕引きをするとか、
すべてのことがこなれていないと、
楽しむことは持続しない。
始まって終わるまで、
なにも引っかかりがなく一気に楽しめるものになるには、
こなれていないといけないと、
僕は思う。
それには、シャドウボクシングをいくらやってもダメで、
スパーリングをたくさんして、
試合をたくさんしないといけないと思う。
プロットばかり書いていないで、
設定ばかり書いていないで、
どんどん実文を書いていったほうが良いと思う。
完結しない文章ばかり書いていないで、
完結したものをたくさん書いて、
完結慣れしたほうがいいと思う。
擦れてしまって新鮮な感覚がなくなるのをおそれてもしょうがない。
「いつでも新鮮になれる感覚」も、
こなれるものである。
数をやることに、なんらデメリットはない。
メリットしかない。やるしかない。
でも人は、ついついやらない理由を探している。
つらいからだね。
修行と思ってやるしかないね。
朝ランニングをするように、
朝一時間だけ執筆の時間をとってはどうだろう。
僕はそうやって10万字の小説を書き上げた。
(もちろん土日は全部当てたけど)
とにかく数をこなすんだ。
そうしないと、いつまで経ってもあなたの語り口は洗練されないし、
独自の味も出てこないと思うよ。
2018年08月31日
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