2018年09月06日

ジャンプのインフレシステムは、二幕前半のループ

インフレはどんどん拡大する。
何故世界は拡大し続けるのか。
単純に全能感が楽しいからだと考えていたが、
インフレとは、
「二幕前半」をひたすらループしているんだなあ、
なんてことを突然理解した。


二幕は三幕構成理論において、
展開部だ。

事件が起き、日常の世界から離れるまでが一幕で、
これを受けた二幕では、
「新しい世界」に突入する。

この前半部分では、
その新しい世界に慣れ、
自由に進めるようにならなければならない。

大抵はその「新しいめくるめく世界を知って行く」
という場面が存在する。

たとえば「マトリックス」がわかりやすい。
目覚めたネオは、マトリックス世界の原理を知って行く。


この段階において、インフレが急激に起こるわけだ。
自分は新しい世界に行くし、
新しい世界に急に世界観が拡大するし、
新しい世界の原理を次々知って行くし。

危険や敵は増し、それに対抗しなければならなくて、
その障害をどう乗り越えるかをやっていかなければならない。


これ、バトル漫画における、
「○○編」とほとんど同じだ。
で、その敵を倒したらエンドではなく、
次の更に強烈な敵がやってくることになっている。
ハードルは更に上がり、
それを越えるために能力がインフレして行くのが、
インフレシステムだ。

これはつまり、
二幕前半からミッドポイントまでの流れを、
更にもう一度繰り返すことになるわけだ。
世界は更に拡大するだけの話。


元々は、
部活入部、上級生との対抗試合、
大会常連校との練習試合、
レギュラー獲得試合、
県大会予選、決勝、
全国大会予選、決勝、
世界大会予選、決勝、
と、
部活の成長のような仕組みが、
インフレの基礎にあるような気がする。

これをスポーツだけでなく、
日常ものや異世界ものやバトルものでやっているだけだ。
(ジャンプにはないが恋愛ものもそうかもね)


三幕構成理論によれば、
一幕で日常から新しい世界に行きセンタークエスチョンを示し、
二幕前半では世界を広げ、
ミッドポイントはいくつかのパターンがあるが、
かりそめの敗北をして、
二幕後半で洞窟を抜けて逆転の糸口をつかむ、
というのが最も良くあるものだ。
三幕は全てを決めるラストバトル。

こう考えると、
つまりインフレものとは、
二幕前半、後半、三幕(その○○編でのラストバトル)をやり、
より拡大した舞台での、
二幕前半、後半、三幕、
を繰り返す構造だ。

で、巨視的に見ると、
全体の二幕後半と三幕
(主人公が洞窟を抜けて真の成長をする
→全てを決めるラストバトル)
を留保して、
ただ二幕前半をインフレループしている、
というのが連載形式の引き伸ばしテクだともいえる。


このシステムを続ける限り、
実は主人公は成長しない。

バトル要素的な成長(必殺技を覚えるとか)や、
見た目の成長はするけれど、
内面の真の成長はしない。
それをするべき二幕後半と、その昇華である三幕が、
留保され続けているからである。

つまり、ジャンプインフレシステムでは、
主人公が成長したら終わりなのだ。
主人公が真に成長してしまうことは、
最終回フラグなのである。

だから他のキャラが成長したりすることで、
お茶を濁すことがよくある。
キャラを増やして各キャラの成長を描くのは、
簡単な水増し法でもあるわけだ。


ジャンプの主人公は、
だから(引き伸ばし続ける限り)一生成長しない。
だから、空虚なのである。

(これは「何故ジャンプ漫画の主人公は目立たない地味なキャラになり、
他のすごいキャラが人気になるのか?」のひとつの答え出ある。
主人公は成長しない空虚だからだ)


もっとも、それに気付く前に、
読者は少年から青年へ実際に成長してしまうので、
興味は別のところに移り、
主人公の成長など見届けずにフェードアウトするだろう。

そうやって読者が入れ替わり、
漫画の引き伸ばしループは続いて行く。

(そういえば僕が中学生くらいから始まったジョジョは、
まだ引き伸ばしている。僕は杜王町でついていけなくなった。
主人公交代制によって主人公の成長は描けるようになった。
一方、「俺は人間をやめるぞー」と吸血鬼になったディオは、
成長を止めている)


ジャンプの引き伸ばしインフレシステムは、
商売を引き延ばすことには役に立っただろう。
人気作で出来るだけ儲ける、
リターンの果実を搾り取る方式だ。

しかしそのせいで連載作品の長期化を招き、
新陳代謝を遅らせ、
雑誌としての生命力が失われたのは確かだ。

そして最も重要なことは、
「架空の他人の成長を目撃して、
感情移入して擬似成長する」
という、
物語の最も大切なカタルシス体験を、
読者からスポイルしてしまったことが、
最大の悪ではないだろうか。


ジャンプはつまり、
拝金主義の商業主義に傾倒したせいで、
物語の豊かな大地を焼畑にし、
少年たちを成長させる雑誌ではなくなったのだ。


そして今はぺんぺん草も生えない、
荒野になりつつある。


ジャンプは170万部を切りそうらしい。
そりゃそうでしょ。
だってストーリーじゃないんだもん。
オモチャに出来たり、実写化アニメ化狙いの、
複合ビジネスのプラットホーム合戦なんだもの。

最も大事な、
少年が感情移入する、擬似成長に必要な豊かな物語が、
うしなわれつつあるんですもの。

当然の結果だろう。

これは漫画産業だけではない。

事業拡大のインフレを狙いシネコンを拡大したはいいが、
かけるべき作品不足に陥っている、
邦画界もほとんど同じだね。


僕は資本主義のことがまだ分かっていない。
何故事業は拡大し続けなければならないのか、
まだちゃんと分かっていない。
それじゃいつか壁(地球の限界)に当たるじゃん。
二幕前半の拡大的全能感を、ずっとループするのが、
資本主義なのかい?



二幕前半は面白い。
でもそれにどういう意味があったのか、
意味を結論づけるのは、
二幕後半と三幕だ。

インフレにはそれがないから、
終わることができない。

増殖し続けて死なずに、
もはや原型を留めないガン細胞とどう違うのだろう?
ドラゴンボールはまだ続きをやってるって?

二幕後半と三幕は、いつ来るんだ?



長期連載もの、
たとえば「ベルセルク」や「ガラスの仮面」は、
ずっと二幕後半と三幕を留保し続けている。

ベルセルクはガッツとキャスカとグリフィスと、
蝕のことの決着をつけるのが二幕後半で、
ゴッドハンドとの戦いが三幕であることが、
蝕以来期待されている。

ガラスの仮面は、二人のライバルの決着と、
梅の木をどう演じるかということと、
演じることは何かという答えを出す、
三幕部分が期待されている。

成長の留保をしたことで、
日本が成長を留保する国になってしまったのは、
穿ちすぎる見方であろうか?


物語は、ひとつの誕生から収束までを描く。
収束は安楽死でもある。
死して次の種を生むのが物語だ。
拡大をし続ける焼畑は、
何も結局生んでいない。
posted by おおおかとしひこ at 13:24| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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