詰まらない数学の授業と、
いい女の服を脱がしていくことは、
真逆の関係にある。
分かって行く過程は面白くないが、
結果の等式は価値があるのが数学。
服を脱がして行く過程はとても興奮するけれど、
全体が分かってしまうとあんまりだなあというのが女。
ストーリーは過程にあるのか、全体にあるのか。
たとえば、
「謎の目的のある人物」はとても面白い要素である。
その人の目的が分からないが、
これまでの発言や行動を考えると、
どうやらこうらしいぞ、
と分かった瞬間、
あるいは推理する過程はとてもぞくぞくする。
これはストーリーの楽しみの一つである。
あるいは、
「最初に謎を提示せよ」
なんてのはセオリーのひとつだ。
謎があり、それが解かれて行く様は、
とてもぞくぞくする。
これは、女の服を脱がして行く過程に相当する。
この先に一体何があるのか、
ここまではわかったが、
この先はわからない、
しかし恐らくこうであろうという予測や期待、
あるいはこうだったらどうしようかという不安や危険。
そしてこうにちがいないという予測が当たった時の、
「やっぱり!」や、
予測の上を来られた時の「そうだったのか!」などは、
ストーリーの最大の楽しみの一つである。
出落ちがなくならないのもこれが理由で、
出た瞬間の期待感は、
ひとつの謎だからだ。
こいつは結構やるっぽいぞ、
一体何をやってくれるんだろう、
という期待は、謎解きのそれと似たようなものだ。
(出落ちの問題は、その謎に対して答えが放置されていることである)
ストーリーの前進力とは何かを、
書いている時に見失いがちだ。
このストーリーの勢いが落ちているとか、
止まってるんじゃないかとか、
不安になってくることはよくあることだ。
で、そういうときは、
ストーリーとは「わかって行く過程そのもの」
と考えるといいということである。
この人は一体どういう人なのか。
どういう立場や性格か。
目的や動機は何か。
過去や未来は。
この場所は。この組織は。この世界は。
それらが分かって行く過程が面白くなるように組もう。
勿論、
謎が先にあり、それを知りたいと思わせるような振りがあれば最高だ。
勿論、それらが全貌が現れるのが、
ミッドポイントや後半になるだろう。
あとは、全体が分かったとしてもなお面白いのか、
を考えていかなければならないが。
「マトリックス」が分かりやすい。
この世界がどうなっているのかを、
分かって行く過程が前半にあり、
それがそもそも面白い。
分かった後の状態、つまり、
「世界はマシンにより支配されていて、
人間は仮想世界の夢を見させられている。
仮想世界にジャックインして、
そこが仮想だと分かってさえいれば、
思いが物理的な力になる」
という結果だけ見せられても、何も面白くない。
それは、数学の授業と同じである。
マトリックスは、分かって行く過程が面白いのであって、
分かった後が面白いわけではない。
分かって行く過程そのものを面白く出来たら、
数学は一万倍面白くなるけどね。
で、マトリックスが上手なのはその後で、
分かった後の楽しみは、
タンクの裏切りと、エージェントスミスとの実戦に、
話が切り替わって行くことなんだよね。
マトリックス2や3がストーリーとして凡作だったのは、
この「分かって行く過程」が、
全然なくて(アーカイブの神とかバックドアとかあるけど)、
面白くなかったことに尽きる。
で。
分かった後にも面白いものを用意しているか?
ストーリーは分かる過程の面白さで半分、
分かった後の面白さで半分だ。
数学は、
分かる過程は全然面白くないが、
分かった後の応用がものすごく面白い。
(そしてこれは理系の授業でないと教えてくれない。
微分方程式で、弾道計算とボイジャーが同じ式で書けるんだぜ)
女は、過程はめちゃくちゃ興奮するが、
終わって賢者になればあとがない。
どちらになってもストーリーとしては失格だ。
最終的には、
どういうテーマだったのかがラストシーンで分かるだろう。
それまで過程を面白くしなければならない。
そして、
分かり終えたあとだとしても、
それが数学のように、
あとあと価値のあるものにならなければならない。
ストーリー物のwikiを見ると、
分かり終えたあとの羅列ばかり見させられてうんざりすることがある。
それを分かる過程が面白いのになあと。
結論と過程の両方が面白いこと。
それが良いストーリーの条件ということだ。
ちゃんと分かる過程が面白いか?
全部分かって、
たとえばどんでん返しされたあとでも、
やっぱり面白いか?
これらは両輪にならなければならない。
だから難しい。
2018年09月07日
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