2018年09月10日

ライフハック

僕はこの言葉が嫌いだ。
表面的な付け焼刃で、その場でごまかすテクニックのような、
矮小なイメージを受ける。
対症療法に過ぎず、根治療法ではないと。

脚本論は、ライフハックではないという話。


もし脚本のことが、簡単ないくつかのライフハックでかわせるとしたら、
どんなにか楽だろう。

・主人公に秘密を持たせろ
・どんでん返しのタイミングは第二ターニングポイント前
・オープニングで度肝を抜け

のみっつさえ守れば名作誕生!

というライフハックが仮にあるとしよう。
これで名作は、一本書けるかもしれない。
しかし、もう一本は書けない。
同じパターンだからだ。

創作にパターンは厳禁だ。
違うことをすることが創作だからだ。
今までにないことをすることが創作だからだ。

いや、パターンを好む、プログラムピクチャーという流れはある。
だから、プログラムピクチャーを作るときは、
ライフハック集でいいのかもしれない。

男女を出会わせて、最初はケンカをさせろ
第一印象最悪から、実はいい人なんだと分かるシーンをつくれ
そこから一回惹かれるが、やっぱり駄目な人だと失望させろ
一回前からいなくならせて、
あの人がいないと寂しいと思わせろ
再会した時にぎこちなくさせろ
で、やっぱりケンカするほうがいいと思わせろ
一番大事な時にいないことにしろ
あとは走ってその人の所にいけ

なんていうライフハックがあれば、
大体定番のラブストーリーが欠けるんじゃないかな。
あとはどこの世界のどういうジャンルか、
ガワを変えていけば、
大体のラブストーリープログラムになるんじゃない?


つまり、それを書いて面白いのか、
ということなんだよね。

書いたことのない人は、
そういうプログラムピクチャーの、
定番すらやったことないはずだから、
それを経験することはやっておいたほうがいい。
定番勧善懲悪、
定番裏切り系、
定番死んじゃう系、
定番ミステリー、
定番ホラー、
定番ライバルもの。
そういうものは、ライフハックのようなものだけで作れるだろう。

ついでに、裏切り系とラブストーリーのライフハックを組み合わせると、
新しいパターンになるはずで、
そういう順列組み合わせは、
一通り試すといいだろう。

で、何回かやってみるとわかるんだよね。

それは、なにかを作ったことにならないってね。


ストーリーというのはとても複雑で、
中身とガワがあって、
それが不可分になっているのが理想だ。
ガワを変えて中身もちょっと変えたら、
ぜんぜん面白くなくなることもよくある。
バランスが大事なこともあったりする。
だから、
定番の組合せと、新しいガワを組み合わせて、
バランス調整したら、
大体はうまくいってしまうこともある。
これに慣れると、
組み合わせることが仕事のようになってしまう。
調合師が仕事のように。

しかしそれは〇〇と〇〇の組合せだよね?
と、バレる人にはバレるのだ。
「カメラを止めるな!」は、
「運命じゃない人」と「ラジオの時間」を組み合わせればおおむねできる。
しらない人がすごいと言っているだけである。

調合師の仕事がストーリーを書くこと?
新しいスパイスを輸入して、
それを組み合わせることが仕事?

いや、違う。

新しい味を作ることから、新しいスパイスを作ることから、
やることが仕事なんだ。

もちろん最初のうちは、
世の中にはどういうスパイスがあり、
これとこれを組み合わせるとどうなるか、
やったことのないものがないように、
しておく必要がある。
それは基本のようなもので、
それをやりながら、独自のなにかを作り出す必要がある。
その秘伝の何かができたら、
既存の組合せに加えて、オリジナル調合としてもいい。
でもそのうちアレにアレ味を入れているだけだ、
とバレるので、
また新しいものを作り出さないといけない。

昔は情報がばれなかったから、
パクリでもすごいってなった。
でもいまはすぐにばれる。
(いや、バカの声が大きすぎて、
真実の声がかき消される中世なみの知性という可能性もあるが)

だから、調合だけじゃ作ったことにはならない。


アレとアレを組み合わせたらどうなる?
なんてのは、初心者の作り方だ。
オリジナルなアレから作るのが、
我々の仕事なのである。

ライフハックで脚本が書けたらどんなに楽だろう。
そういうわけにはいかない。


ところで、
ライフハックを網羅的に学ぶことが、
勉強や技術習得だと勘違いしているやつが多い。

エクセルの使い方を全部マスターたらマスター、
のようなスキルだと勘違いしている。

それは一問一答式の、学校教育が良くないと思う。
世の中には答えがあるかどうか不明なものもあるし、
答えが複数あるものもあるし、
条件を変えると答えが変わるものもあるし、
それが変動するものもあるし、
複数の違う方向性を持つ答えもあるし、
統計的にはこうだがそれじゃ意味がない答えもある。

そのあいまいさに耐えられないと、
一問一答式のわかり易さに逃げてしまうのかもしれない。

塾講師のツイートでバズっているやつがあって、
「footが分からない生徒に、
footballやfootworkなどfootを含む言葉を言わせ、
意味を類推させる」
という授業をしたが失敗した、
という奴があった。
反論が面白くて、
「答えを知りたいだけなんだから、
余計なことはさせずにさっさと教えればいいのに」
というやつがあった。
ああ、こう反論したり、結局footの意味が類推できなかった人は、
問いと答えが誰かによって整理されているだけで、
それを覚えることが勉強だと思っているんだなあ、
とうすら寒くなった。
こういう人たちは、ライフハックで大喜びするんだなあ、と想像する。

空手で型だけやっても強くならない。
変貌する現実に対処する方法と、
そこから型を生かすチャンスメイキングからやらないと型なんて使えない。
その泥の中から蓮の花を咲かせる過程が、
空手というものだ。

泥があり、種があり、まいて一週間世話をすれば、
花が咲くようなものではない。
自分の工夫こそが創作になるようにならなければならない。

そういうジャンルは、サービス過剰の現代によって、廃れているのかもしれないね。

正解はない。
そこに至る道もない。
しかし結果だけはシビアに問われる。

敷かれたレールのない人生は、
自由に生きていい。
しかしレールがないことに、弱い人はストレスを受ける。
そういう人がライフハックで、得した気になっているのだろう。


「footが分からないなら、他にfootを含む単語を思い出す」
ことすら、発明しなければならない。
それが創作的勉強というものだ。

で、それが脚本にも必要なんだよね。


だから僕が脚本論で論じていることは、
ライフハックにならないことばかりで、
それを勉強したって、
なんのテクニックにもならないことだと思う。

こういうことがあるんだ、ということはなるべく書いているが、
ほんとうにそうかどうか、
それが有効かどうか、
他にもっといいやり方があるか、
などは、書く人で変わってくると思う。


創作というのは、そのように「良く分らない」
ということと付き合っていくことである。



ライフハックだけで書かれた脚本論の本は、
売れると思う。
「25の法則を学ぶだけで売れる脚本に!」
なんて副題をつければばっちりだ。
でもそれは何の役にも立っていない。
「拳が来たら左に躱してカウンターを打て」
くらい、役に立たない法則だと思う。


とにかく書け。
自分流を作れ。
それが創作。
自分流で気づいていない所が沢山あるだろうから、
ここではそのことについて書いている。
役に立つ人もいるだろうし、
そうじゃない人もいるだろう。
今役に立つ人もいるし、ずっとあとでつかえることに気づく人もいるかもしれない。
そういうときに参考になるといいなあ、と思っている。
posted by おおおかとしひこ at 15:42| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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