2018年09月13日

理由のわからない事件を起こせ

そうすると、「何故だ?」とみんな思う。
理由を知りたくなる。

そうすると、説明を聞いてくれる。


どこかでは説明をしなければならない。
それは世界を設定することで、
以降それを再利用する為である。

たとえば部屋に来たときに目に入るものは、
住人の性格を説明するものでもあるが、
それはあとで必ず使われる。

説明と伏線は、表裏一体だ。

あとで使われない説明など、不要である。
あるいは、言い訳など物語から極力削り落とせ。
物語は楽しむためにあるのであり、
製作者の言い訳を聞くためにあるのではない。


つまり、説明の脚本家にとっての役割は、
本当は伏線だ。

設定をするふりをした伏線である。


さて本題。

この説明をするのは、簡単なことではない。
説明というのは基本的に難しい。
世の中には付き合う価値もないダメな説明だらけだ。

何故世の中にはどうでもいい説明ばかり溢れるのか?
それは、
私たちが興味がないからだ。

興味のあることがあれば、
人は何時間でも話を聞く。
それが拙い説明であってもだ。

説明の上手い人は、
実は言葉が上手だとか、
ロジックが整理されているとかではない。

私たちが興味を持てるように持っていくことが上手なのだ。

池上彰の説明は上手いが、
そもそも最初に問題意識を植え付けるのが上手なことに、
気づくべきである。
話の枕は、普段生きている私たちが、
いかに説明を聞くような状態に持っていくかの手法である。

物語の場合、
たいていは、
インパクトがあり、ビジュアル的に記憶が残る、
理由のわからない不可解な事件が起きる。

猟奇殺人、密室殺人、
何かの不審な爆発、
何かの転覆、
不可解なメッセージ、
何かが並ぶ、
などなどの、
導入するための不思議な何かが起こることがよくある。

「これはなんだ?」
「何目的だ?」
「一体何が起こってるんだ?」と、
観客はインパクトがあればあるほど、
謎の引きがあればあるほど、
のめり込む。
「なぜか?」を知りたくなるからだ。

そうすると、説明しても聞いてくれる。

あなたは逆算するのである。
伏線の回収のシーンを考え、
その伏線になる設定と説明を考え、
それに興味を持たせるための疑問となるインパクトある事件を、
創作しなければならないのだ。

(これは後ろから書いていく方法だ。
大抵は前から書いていくが、
後ろから書いたものを前から書き直していくほうが、
大抵うまくいく。
それが計算というものである)

あるいは、
大きく派手なことだけとは限らない。
「俺が右手に持っているものはなんだと思う?」
と台詞で言わせるだけでも、
そういうことは生まれる。

何を持っているのか。
予測がついたとしても、なぜそれを持っていて、
どういう意図で持っているのか。
まさか、○○のために…
と、観客に想像させて、
「ご想像の通りさ」
とオープンする。

この一連の謎の振り→考えさせる→種明かし
があることで、
ことあとの説明も、
素直に入ってくるというものだ。


説明をそのあと聞きたくなるような、
前振りはなにか?

それが出来たら、半分の仕事は終わりだ。
posted by おおおかとしひこ at 13:12| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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