そうすると、「何故だ?」とみんな思う。
理由を知りたくなる。
そうすると、説明を聞いてくれる。
どこかでは説明をしなければならない。
それは世界を設定することで、
以降それを再利用する為である。
たとえば部屋に来たときに目に入るものは、
住人の性格を説明するものでもあるが、
それはあとで必ず使われる。
説明と伏線は、表裏一体だ。
あとで使われない説明など、不要である。
あるいは、言い訳など物語から極力削り落とせ。
物語は楽しむためにあるのであり、
製作者の言い訳を聞くためにあるのではない。
つまり、説明の脚本家にとっての役割は、
本当は伏線だ。
設定をするふりをした伏線である。
さて本題。
この説明をするのは、簡単なことではない。
説明というのは基本的に難しい。
世の中には付き合う価値もないダメな説明だらけだ。
何故世の中にはどうでもいい説明ばかり溢れるのか?
それは、
私たちが興味がないからだ。
興味のあることがあれば、
人は何時間でも話を聞く。
それが拙い説明であってもだ。
説明の上手い人は、
実は言葉が上手だとか、
ロジックが整理されているとかではない。
私たちが興味を持てるように持っていくことが上手なのだ。
池上彰の説明は上手いが、
そもそも最初に問題意識を植え付けるのが上手なことに、
気づくべきである。
話の枕は、普段生きている私たちが、
いかに説明を聞くような状態に持っていくかの手法である。
物語の場合、
たいていは、
インパクトがあり、ビジュアル的に記憶が残る、
理由のわからない不可解な事件が起きる。
猟奇殺人、密室殺人、
何かの不審な爆発、
何かの転覆、
不可解なメッセージ、
何かが並ぶ、
などなどの、
導入するための不思議な何かが起こることがよくある。
「これはなんだ?」
「何目的だ?」
「一体何が起こってるんだ?」と、
観客はインパクトがあればあるほど、
謎の引きがあればあるほど、
のめり込む。
「なぜか?」を知りたくなるからだ。
そうすると、説明しても聞いてくれる。
あなたは逆算するのである。
伏線の回収のシーンを考え、
その伏線になる設定と説明を考え、
それに興味を持たせるための疑問となるインパクトある事件を、
創作しなければならないのだ。
(これは後ろから書いていく方法だ。
大抵は前から書いていくが、
後ろから書いたものを前から書き直していくほうが、
大抵うまくいく。
それが計算というものである)
あるいは、
大きく派手なことだけとは限らない。
「俺が右手に持っているものはなんだと思う?」
と台詞で言わせるだけでも、
そういうことは生まれる。
何を持っているのか。
予測がついたとしても、なぜそれを持っていて、
どういう意図で持っているのか。
まさか、○○のために…
と、観客に想像させて、
「ご想像の通りさ」
とオープンする。
この一連の謎の振り→考えさせる→種明かし
があることで、
ことあとの説明も、
素直に入ってくるというものだ。
説明をそのあと聞きたくなるような、
前振りはなにか?
それが出来たら、半分の仕事は終わりだ。
2018年09月13日
この記事へのコメント
コメントを書く