2018年09月14日

説明に感情を込める

なぜあなたの説明は長くて退屈なのか?
説明しかしてないからではないか?


「人が長々と説明をしている絵」があるとしよう。
私たちはそれを見たときにどう思うだろうか。
たいていは、
「こいつは言い訳をしている」
と感じる。

説明そのものよりも、
「説明するという行動の動機」
に私たちは注目がいく。

バレたら困るから必死に説明している、
つまりこいつは何か別のことを隠しているな、とか、
ここまで説明することで、この辺で手打ちにしたいという意思を感じるとか、
これ以上詳しく知りたいなら闇に触れるからやめておけという脅しとして説明している、
とか、
ただ説明しているだけでなく、
その人の動機を探るものである。

それは、説明は点ではなく、
文脈という流れの、線の一部だからである。

線の中では全ては線の一部だ。
点だけが突出して別にあるわけではないのだ。

音楽にたとえればわかる。
せっかくいい感じになってきたのに、
途中で演奏がストップして、
急に関係のない広告が入り、
また再開するようなものだ。
そんな説明場面はいらない。
関係のないものは不必要に感じる。


ということは、
流れの一部になるのが理想ということだ。

この流れとは、
目的や動機を持った人物たちが複数いて、
それぞれが競合したり協力したり対立している状態で、
今○○が決定しそうだから、
○○に注目して行動の経過や結果を見守っている、
焦点のはっきりした状態、
ということである。


説明する場面がそうなっていないから、
あなたの説明は退屈なのである。

だから、
説明場面に、動機を加えれば良いだけのことである。
「その人はなぜその説明を今するのか?」
に答えられればよいのだ。

今から危険があるのでその覚悟を皆に伝え、一人でも死んでほしくないから。
これを分かってないとこれから攻略することも出来ないから。
忠告したことで、借りを返したから。(よくある)
嘘をついて誘導するため。
その場を誤魔化して責任逃れするため。
ややこしい状況を一旦整理したい。
どれがまだ締め切りが来てなくて、どれが近々に問題か選り分けたい。
あとあと揉めないように一線を引く。
同じ失敗を二度と繰り返さないため。
知らなかったことで後悔したから。
説明しないと死んじゃう爆弾を取り付けられている。


なんでもいいんだけど、
それが線の一部として機能すれば、
それは正解だ。

それをうまく作れたとき、
説明は「動機を持った行動」になるから、
ストーリーの一部になる。
それを理解できるかできないかが、
ストーリーの焦点になるわけである。

説明が上手い下手はもちろんあるけれど、
そもそも「何故説明するのか?」が出来ていれば、
説明の8割は終わったようなものだ。

あとは数をこなせば、
「説明そのもの」はうまくなるので、
心配しなくてよい。
数というのは100とか1000からの話だけど。


つまりあなたの説明が下手なのは、
説明に動機がないか、
数の経験がないかのどちらかだ。

「説明しなきゃいけないから説明している」は、
最低の動機である。
だから糞CMはガン無視なのだ。
posted by おおおかとしひこ at 11:41| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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