2018年09月19日

人生の回答が知りたい

物語を見るための潜在的な動機は、
人生の回答のいくつかが知りたい、
ということがあるのではないか。



偉大なる作家は、人生をこう考えていた、
なんてことを知ることが、
見る者の成長に関係していると思う。
考え方や哲学に影響される、というのは、
人生の見方が一種の答えを与えられたからである。

で、あなたの物語は、そうしているだろうか。



ちなみに、
あなたの考えや哲学を、
「そのまま言葉にして言う」のは、
物語としては最低のレベルだ。

そうしたいなら哲学書や新書や経典でも書くことだ。
現代ではブログやフェイスブックやツイッターがある。
「考えをそのまま出す」のは、そこでやるべきだ。
(もっとも、バズるツイートになる為には、
表現自体が切れていて、
かつ集合的無意識の何かを言葉にするべきだが)

それを直接法というのに対して、
物語のそれは間接法である。


人を信じないがためにひどい目にあった、
というストーリーなら、
「人を信じよう」が人生観、哲学である。

道徳的教訓話というのは、
この構造をしている。
なにか道徳的な教えを諭すために、
物語構造をしているわけだ。
(中世の仏教説話はこの構造で、
道徳はその形を踏襲している。
宗教と物語は同じものだった時代もある。
「エル・カンターレ」がそうかどうかは知らない)


直接的話法よりもさらに高度なことを、
物語ではしなければならない。

あなた独特の考え方、人生観、哲学などを、
直接ではなく、間接的に表現しなければならない。

それは、展開や、世界観(非日常世界での常識など)や、
テーマ(主人公の足りないものが、旅を経て得られる)や、
他の登場人物の変化の方向などで示すことが出来るかもしれない。

いずれにせよ、その考え方、哲学などは、
一文字も使われずに表現される。
だから物語は「深い」のである。


それを言葉に表したときに、
新しい考え方になっている。
その新しい考え方の、具体的実践。具体例。
それが物語である。


「よし、俺様のナイスな新哲学を、
物語形式で広めよう」と考える人は、
多少いるだろう。

それはとても良いことだ。
世界を自分の色で染めたいというのは、
人の願望のひとつであり、
それが有用であれば、どんどん広まるだろう。

(現在は有用でなくても、必要な時が来れば、
発見されて広まるかもしれない。
ただ情報社会が浸透しすぎてゴミが大量に増えたのはたしか。
現代は物理的なゴミの島が消えたかわりに、
ネットにゴミの島が出来ている。
ゴミの島が今どこにできているか探すと、
発展しているところが分かるかも知れないね)


それを物語でやるなら、
間接法でやることだ。
物語の構造を使ってやることだ。
正しいやり方はない。
その示し方から発明しないといけない。
それが出来たとき、
あなたの思想は、伝播する力を有したことになる。

直接話すのはただの説教シーンなので、
詰まらない説明シーンと同じ価値しかないことに注意されたい。


あなたは作家的な見方をしなくてはならない。
人生の新しい見方、考え方を、
提供するのが仕事のようなものだ。
エッセイストなら直接法でよいだろう。
物語作家は間接法で勝負する。

もし、よくできてはいるのだが、
たいして深く来なかったなあ、
というストーリーがあるなら、
そのような、
作家的な、新鮮な、
「人生をどう考えるか」
がなかった、という可能性がある。

なにか物足りない、映画を見た気がしない、
というのは、単なる娯楽以上の何かを、
我々はストーリーに無意識に求めている、
ということかもしれない。

誰かの話を聞きに行って、
有用だったら、今回のトークは有用だった、
と思うだろう。
ただだらだら時間を過ごして無駄にした、
ということなら腹が立つ。

為になるとは限らない。
あまりにもバカでゲラゲラ笑って、
元気もらったわ、でも構わない。
キツくて下らない自分の人生が、
そんなバカが生きてるかと思うと楽になる、
というのでもいい。
それはバカな生き方が新しい哲学ということだ。

物語も人の話を聞くのと同じだ。
教訓や総括や哲学がないと、
だらだら無駄な時間を過ごした気になってしまう。

無駄か有用かの一つの基準は、
新しい考え方に触れられたとか、
その具体的な応用を初めて見たとか、
そういうことだ。

あなたは、その具体例を提供しないと、
物語作家とは言えない。
抽象的なものいいは直接法の説法家に任せておきなさい。

具体的な考えは、抽象的な言葉になる。
抽象的な考えは、具体的な典型例から抽出される。

あなたは後者を、
具体的な物語の中で観客に体験させるのだ。


どうやったらモテるのか。
人生の目的は何か。
二十代でするべきことは何か。
金はどれだけ大事なものか。
どうやったら成功するのか。

世の中には、
そういう人生の回答本が山ほどあふれている。
あなたの物語は、
それよりも面白くならなければならない。

物語の価値とは、その圧倒的具体性にある。
posted by おおおかとしひこ at 09:35| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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