2018年09月20日

逃げ回っていた奴が反撃の決意をするのは、第一ターニングポイント

弱っちいやつが主人公になることは、稀によくある。
私たちは弱いから、自分を重ねやすい。

しかしいつまで経っても逃げ回る弱っちいやつは、尊敬に値しない。
いつか戦わなければならない。
それはいつ「反転」に転じるのか。

遅くて第一ターニングポイント。


第一ターニングポイントは、
一幕の設定から、
二幕の展開への転換点だ。

設定が「逃げ回る弱っちいやつ」だとしても、
本編は戦いになるべきだ。

「逃げ回り、逃げ切ることが可能か?」
というセンタークエスチョンの話ならいざ知らず、
主人公はどこかで危機への戦い、反抗を決意する。

その戦いこそが本編の中心的出来事であるべきだ。
そしてエンドはその主人公の勝利を予測するから、
私たちはそれを楽しみにするのである。
「どうやって?」とね。


「逃げてばかりの主人公は、最後まで何もせず逃げ切れるか?」
を楽しみに人は物語を見ない。

いつもと逆をするから物語になる。

(逆に、
いつもはなんでも積極的だった男が、
最後までオラオラバンバンやるのもストーリーではない。
オラオラ系は、人生で初めて、たとえば逃げることを選択する。
それがストーリーというものだ)


で。

だとすると、その反転の決意はどこか?
それが第一ターニングポイントであるべきだろう。

もちろん、
二幕の頭から大勝利は飾れない。
話は少しずつ進む。
部分的勝利をしたり、
やっぱり負けたりして、
工夫や試行錯誤を繰り返しつつ、
ミッドポイントまで徐々に盛り上がって行くのが普通だ。


第一ターニングポイントは、
センタークエスチョンを提示するとともに、
そのセンタークエスチョンの解決に、
主人公が乗り出す瞬間をえがくべきだ。

もし逃げ回っている主人公が反撃を決意するとしたら、
ここしかないと思う。


ちなみに、
ずっと逃げ回っていた主人公が、
最後の最後に決意して一歩踏み出して終わるのは、
「落下する夕方」テンプレとして、
僕はメアリースーの典型としている。

機会があったら「落下する夕方」を見てみるといい。
どうしてこんなにこの映画は退屈なのか、
自分なりに考えてみるといい。
とても良い反面教師になる。


映画とは冒険だ。
普段は不可能なことを、
どうにかして成し遂げる過程を描くのだ。
「弱虫主人公の、生涯最大の大逆転」
を描かなくては映画じゃない。

その過程が思いつかないからといって、
逃げ回っていては何も生まれない。

嫌だけど、戦わなければならないと決意するからには、
余程の動機があることだろう。
その動機こそが、物語の牽引力になる。


もっともよくあるテンプレ:

一幕: 逃げ回る。事件から逃げる。
第一ターニングポイント: 逃げずに戦うことを決意。
(なぜか?は、その物語による)

二幕前半: 勝ったり負けたり。実力じゃなくて偶然。
ミッドポイント: 仮初めの敗北。

二幕後半: 本気で反省し、戦いに勝利するための準備をする。
第二ターニングポイント: リベンジの最大のチャンス。

三幕: 最も危険な賭けで勝利、逃げまわらなくて良い人生になる


どんな話でも応用できるだろう。
勿論変形しても良い。
大ターニングポイントに最も大事なエピソードを持ってこれれば、
この構造が強いと思う。
posted by おおおかとしひこ at 13:09| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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