弱っちいやつが主人公になることは、稀によくある。
私たちは弱いから、自分を重ねやすい。
しかしいつまで経っても逃げ回る弱っちいやつは、尊敬に値しない。
いつか戦わなければならない。
それはいつ「反転」に転じるのか。
遅くて第一ターニングポイント。
第一ターニングポイントは、
一幕の設定から、
二幕の展開への転換点だ。
設定が「逃げ回る弱っちいやつ」だとしても、
本編は戦いになるべきだ。
「逃げ回り、逃げ切ることが可能か?」
というセンタークエスチョンの話ならいざ知らず、
主人公はどこかで危機への戦い、反抗を決意する。
その戦いこそが本編の中心的出来事であるべきだ。
そしてエンドはその主人公の勝利を予測するから、
私たちはそれを楽しみにするのである。
「どうやって?」とね。
「逃げてばかりの主人公は、最後まで何もせず逃げ切れるか?」
を楽しみに人は物語を見ない。
いつもと逆をするから物語になる。
(逆に、
いつもはなんでも積極的だった男が、
最後までオラオラバンバンやるのもストーリーではない。
オラオラ系は、人生で初めて、たとえば逃げることを選択する。
それがストーリーというものだ)
で。
だとすると、その反転の決意はどこか?
それが第一ターニングポイントであるべきだろう。
もちろん、
二幕の頭から大勝利は飾れない。
話は少しずつ進む。
部分的勝利をしたり、
やっぱり負けたりして、
工夫や試行錯誤を繰り返しつつ、
ミッドポイントまで徐々に盛り上がって行くのが普通だ。
第一ターニングポイントは、
センタークエスチョンを提示するとともに、
そのセンタークエスチョンの解決に、
主人公が乗り出す瞬間をえがくべきだ。
もし逃げ回っている主人公が反撃を決意するとしたら、
ここしかないと思う。
ちなみに、
ずっと逃げ回っていた主人公が、
最後の最後に決意して一歩踏み出して終わるのは、
「落下する夕方」テンプレとして、
僕はメアリースーの典型としている。
機会があったら「落下する夕方」を見てみるといい。
どうしてこんなにこの映画は退屈なのか、
自分なりに考えてみるといい。
とても良い反面教師になる。
映画とは冒険だ。
普段は不可能なことを、
どうにかして成し遂げる過程を描くのだ。
「弱虫主人公の、生涯最大の大逆転」
を描かなくては映画じゃない。
その過程が思いつかないからといって、
逃げ回っていては何も生まれない。
嫌だけど、戦わなければならないと決意するからには、
余程の動機があることだろう。
その動機こそが、物語の牽引力になる。
もっともよくあるテンプレ:
一幕: 逃げ回る。事件から逃げる。
第一ターニングポイント: 逃げずに戦うことを決意。
(なぜか?は、その物語による)
二幕前半: 勝ったり負けたり。実力じゃなくて偶然。
ミッドポイント: 仮初めの敗北。
二幕後半: 本気で反省し、戦いに勝利するための準備をする。
第二ターニングポイント: リベンジの最大のチャンス。
三幕: 最も危険な賭けで勝利、逃げまわらなくて良い人生になる
どんな話でも応用できるだろう。
勿論変形しても良い。
大ターニングポイントに最も大事なエピソードを持ってこれれば、
この構造が強いと思う。
2018年09月20日
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