ストーリーを短い言葉でまとめる事はとても難しい。
一方、
最後まで見ないとストーリーの価値は分からないから、
そのリスクを冒すのも嫌なので、
「短くまとまったもの」はとても需要がある。
SNSやネット時代になってしまって、
日本語はどんどん短くなっている。
(これは入力システムの問題もあると思うが、ここでは深入りしない)
短くまとめようとすればするほど、
ストーリーの複雑なものは入らない。
いきおい、短い言葉でまとめる=目立つガワを、
フィーチャーしがちになる。
ドラマ「風魔の小次郎」のストーリーの魅力は、
小次郎自身の成長にある。
それは、風魔対夜叉(+聖剣)の枠組みの中で、
忍びとしての運命をどう受け入れるか、
ということが結論になってくる。
仲間の死、仲間の絆、姫子との心のかよいあい、
などがその要素になっているだろう。
他にも壬生や陽炎などのストーリーをかき回す確変要素もある。
これらを、見ていない人に伝える事はなかなか難しい。
だから、ガワを言ってしまう。
聖闘士星矢の車田正美の漫画、実写化!
低予算のトンデモかと思いきや、ちゃんと作られた名作
イケメンパラダイス
(今をときめく○○も出てるよ!)
殺陣やCGが良い
キャラソンがaccess
学園忍者アクションドラマ!
などのようにだ。
素人の人たちがそういう風に表現するのは構わない。
しかしプロたる者、
ガワを持って本質を語るべきではない。
ところが、
その実力がないのか、
それとも製作委員会に素人が増えたのか、
ビジネスがガワで取引されるようになってきている。
これが大問題である事は度々指摘してきたが、
この流れは止めようがない。
だから、
中身をちゃんとしたものを作っておいて、
内輪の筈の製作委員会すら、
ガワで釣るべきだな、
と企画書を書く奴がとても多くなった。
ガワで飛びつかせて、
「あとどうなんの?」「それはこれからです」
という仕組みだ。
しかし問題は、
中身もできていないのに、ガワだけの嘘企画書で、
ビジネスを成立させる輩がごまんと増えた事だ。
「脚本を読めば中身がちゃんとしてるかどうか分かる」から、
ガワでベットして中身は任せる、
とようになってしまったから、
ガワだけ派手でスカスカな、
「○○主演で○○実写化!」しか企画書がないのだ。
この短いパワーワードに勝てるだけの、
中身を短い言葉で表すことを、
我々はしなくてはならない。
にも関わらず、
「短い言葉で強い言葉」と私たちは焦ってしまい、
本質と向き合うことをせずに、
ガワで表を繕うとしてしまう。
最悪だ。
短い言葉で本質をまとめ、
かつ強い言葉になり、
かつキャッチーでパワーワードにすることは、
とても困難で才能が必要だ。
しかし、これから逃げるべきではないと思うんだよな。
昔はCMのキャッチコピー一本決めるのに、
1000本書いたり、一ヶ月毎日集まって会議したものだ。
それは無駄なことではない。
それだけ困難なことなのだから。
東宝のつけた、「学園忍者アクション」は、
ガワの表現としては短くまとまっているけれど、
ストーリーの本質的な中身を示しているとは思えない。
だからといって、
「主人公小次郎の、忍びとしての成長を描く」
なんて無難にまとめたからといって、
ヒキが強いとは思えない。
「ぶっ飛び忍者が、姫に恋してまともに?!」
くらいまですっ飛ばしてもいいんじゃないかと思うよ。
(風魔対夜叉の枠組みは全く言ってないけれど、
一部の本質は捉えていると思う。特にDVD一巻くらいなら、
このコピーの方が合ってるよね)
だから、キャッチコピーとボディコピーを分けて、
「ぶっ飛び忍者が、姫に恋してまともに?!
学園忍者アクションドラマ『風魔の小次郎』
車田正美の伝説の漫画、初の実写化!」
なんてやった方がいいと、僕は思っている。
ボディコピーとはガワ(スペック)のことで、
キャッチコピーは本質的な強い言葉のことである。
「風魔の小次郎」は大きく三つに分かれるので、
「風魔対夜叉の全面戦争!一人ずついなくなる!」
「聖剣を奪い合い、対峙するのは運命だったかもしれない。」
なんてのを、それぞれに変えて付けてもよいだろう。
一言でまとめることは大変難しい。
しかし、そこに立ち向かわないと、
簡単にガワの記述で終わってしまう。
ログラインを書くときは、なるべく本質の中身を書くべきだ。
企画書の頭にも、キャッチコピーとボディコピーを、
両方添えた方がいいと、僕は考えている。
問題は、
自分の書いた作品の本質を見抜くほど、
書いた直後は客観的になれていないことだ。
こういうことは、
本来プロデューサーや編集者が出来るべきことだと僕は思うのだが、
彼らの言葉は最近貧弱で、見る影もない。
昨今のキャッチコピーはガワばかり書いている酷いものが多い。
「最悪。」のヴェノムのコピーは糞かと思ったよ。
ただの自己紹介(点)やないか!
「落ち込んだりもしたけれど、私はげんきです。」
に匹敵する、本質の中身を書くべきなのに。
ということで、
自分で自分の作品の、
短く強くてガワに走っていない、
ドラマの本質をキャッチーに書くことは、
困難極まるのである。
でも、やるべきだと思う。
おそらくこれが書けた時、
初めて「普及」のフェイズに入るのではないだろうか。
2018年09月24日
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