どういうスペックなのか、
どういう表情なのか、
どういう言い方をしたのか、
ふだん何を考えているのか、
どういう服を好むのか、
どういう性格なのか。
これらは一切ストーリーに関係ない。
関係あるのは、なにをするのか、
そして次になにをするのか、
そして次になにをするのか、だけだ。
(極論)
極論すると、
ある行動の一連があるとして、
それを別のスペックのキャラクターに書き換えることは簡単だ。
しかしあるスペックの人間が、
今することと別の、
一連の行動を書くことの方が難しい。
つまり、
どちらがクリティカルかというと、
一連の行動の方である。
これを先に定めない限り、
どんなにキャラ設定を考えたって、
ストーリーを一文字も書いていないのに等しい。
(勿論極論)
大抵の発想はキャラから生まれる。
しかしそれは、ストーリーを一文字も考えていないことに等しい。
料理を作るのに、台所を掃除しているレベルだ。
なにをするのか。
なぜそれをするのか。
それはどのような成功失敗となり、
次になにをするのか。
なぜそれをするのか。
なぜそれをしてあれをしないのか。
そして次になにをするのか。
それが一連の流れになったときだけ、
ストーリーたり得る。
それが最初から最後まで書けた時、
その一連が結局なんだったのかができた時、
はじめてストーリーの骨格ができたと言って良い。
そこからキャラ設定を考えて、
自然にするとか逆目にするとかで、
コントラストを作っていく。
つまり、なにをするのか考えているときは、
のっぺらぼうでデッサン人形のような人間を、
頭のなかで動かしている。
それでストーリーができたとき、
はじめてのっぺらぼうに顔を描き、
人形に服を着せ、
キャラクターに色をつけていく。
そのようにストーリーを作れていないから、
あなたのストーリーは二転三転してふにゃふにゃなのかも知れない。
勿論いろんな作り方があるから、
これは極論だ。
しかしそういうことを一度もしたことがないなら、
やってみるのは勉強になる。
2018年09月26日
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