2018年09月26日

なにをするのか

どういうスペックなのか、
どういう表情なのか、
どういう言い方をしたのか、
ふだん何を考えているのか、
どういう服を好むのか、
どういう性格なのか。

これらは一切ストーリーに関係ない。
関係あるのは、なにをするのか、
そして次になにをするのか、
そして次になにをするのか、だけだ。

(極論)


極論すると、
ある行動の一連があるとして、
それを別のスペックのキャラクターに書き換えることは簡単だ。

しかしあるスペックの人間が、
今することと別の、
一連の行動を書くことの方が難しい。

つまり、
どちらがクリティカルかというと、
一連の行動の方である。

これを先に定めない限り、
どんなにキャラ設定を考えたって、
ストーリーを一文字も書いていないのに等しい。

(勿論極論)



大抵の発想はキャラから生まれる。
しかしそれは、ストーリーを一文字も考えていないことに等しい。
料理を作るのに、台所を掃除しているレベルだ。

なにをするのか。

なぜそれをするのか。

それはどのような成功失敗となり、
次になにをするのか。

なぜそれをするのか。
なぜそれをしてあれをしないのか。

そして次になにをするのか。

それが一連の流れになったときだけ、
ストーリーたり得る。

それが最初から最後まで書けた時、
その一連が結局なんだったのかができた時、
はじめてストーリーの骨格ができたと言って良い。

そこからキャラ設定を考えて、
自然にするとか逆目にするとかで、
コントラストを作っていく。


つまり、なにをするのか考えているときは、
のっぺらぼうでデッサン人形のような人間を、
頭のなかで動かしている。

それでストーリーができたとき、
はじめてのっぺらぼうに顔を描き、
人形に服を着せ、
キャラクターに色をつけていく。

そのようにストーリーを作れていないから、
あなたのストーリーは二転三転してふにゃふにゃなのかも知れない。


勿論いろんな作り方があるから、
これは極論だ。
しかしそういうことを一度もしたことがないなら、
やってみるのは勉強になる。
posted by おおおかとしひこ at 15:23| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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