ストーリーというのは、
何かしら闘いをすることである。
誰か敵を倒すことかも知れないし、
弱い自分に勝つ事かも知れないが、
とにかく闘わずして勝利することはない。
で、その主人公は、自分が戦う意味について、
どう考えている?
危険があるはずだ。
闘いなんだから危険が伴う。
にもかかわらず主人公が戦うからには、
それをどう考えているか、考えていない筈がない。
追い詰められたからこれしかない、と切羽詰まっているのか、
出来れば逃げたいが、仕方なくやっているのか、
誰にもバレたくないからやっているのか、
正義の為、誰かの為になるからやっているのか、
色々と、
自分をどう納得させているかがある筈だ。
ただなんとなく危険に挑んでいるはずはない。
人間、やらない理由を探して、
出来るだけ危険は避けたいからである。
にもかかわらずその戦いに参加するのは、
よほどの理由があり、
しかも、「そういう自分を自分でどう思うか」
があるはずだ。
恥ずかしいことだから、なるべく知られたくない、とか、
どや顔でみんなに言いたいからリスクを冒す、とか、
隠蔽しないと死ぬとか、
いやいやながらこれしかない、とか、
仕事だから仕方ない、とか、
名誉あることだから喜んでやっている、とか、
自己実現に関係している、とか、
誰かがやらなきゃいけないから、とか、
色々な場合があるだろう。
ふと分らなくなったら、
主人公に訊くといい。
「闘いに赴く自分を、どう思っている?」とね。
何も考えていないのはマズイ。
それは惰性であり、ストーリーが求心力を失いつつある警告だ。
こう思っていて、こうしていくのだ、
という意志がないと、行動なんて大それたことはできない。
つまり「そういう自分をどう思っているか」は、
意志や覚悟と関係している。
もちろん、主人公以外の全ての行動する人にも、
それがあるはずだ。
それがコンフリクトというものだ。
それがリアルで、かつ強いとき、
ストーリーは面白くなると思う。
2018年09月28日
この記事へのコメント
コメントを書く