2018年10月03日

ストーリーにしか出来ないこと

感情移入と、落ちだと考える。


以下のものは、ストーリーを使わなくても可能。

新しいこと
いい気分になること
いいムードになること
爆笑すること
感動すること
号泣すること
美しいこと
人のルックス
人の生き方
絶景、みたことのない絵
面白い仕掛け
いいタイミング
ためになること
ニュース性、新発見
世の中と噛み合う感じ
絵と音が合う気持ち良さ
カタルシスを感じること


これらはストーリーの本質ではない。

ストーリーの中にある要素でもあるし、
ストーリーでないものにもある要素だ。

仮にこれらが全部なくてもストーリーは書けると思う。


そして、
ストーリー以外のメディアにはできなくて、
ストーリーにしか出来ないことは何だろうと考えると、
感情移入と落ちの、ふたつが残った。

この二つについてはさんざん議論してきたので、
繰り返さない。過去記事を検索してどうぞ。



世の中に、
ストーリーでなくてもできるものを、
(それをかつてストーリーの形として見た形式だから)
ストーリーだと勘違いしたままの人がいる。

世の中に、
ストーリーでしか書けないものを書いているのに、
ストーリーでなくても出来るものが入っていないからという理由で、
「私の思ったストーリーと違う」という人がいる。

世の中に、
ストーリーでなくても出来るものを、
ストーリーだと言い張って商売する人がいる。

そういう人がいなくなればいいのだが、
いなくはならないだろう。


今後プロとしてやっていくならば、
その人たちとどう付き合うかは、
決めなければいけない。



僕は今日は少し彼らと距離を置こうと思った。
胸を張って自分の仕事だと言えるものでは、
なくなってしまいそうだ。
そういう流産や中絶が沢山あって、
その屍が今世の中に流通していて、
大衆はストーリーの本当の面白さを知らないまま、
屍を見て喜んでいる。
posted by おおおかとしひこ at 21:34| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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