2018年10月06日

ストーリーが必要なのか、ガワが必要なのか

下手したらストーリーなんて誰も必要としていない。

極端にそう考えることもある。
だとするとどうなるか、
思考実験。


点やガワだけが必要とされている。
つまりは、

好きな俳優の立ち姿や仕草やコスプレが見れて嬉しい。
興奮する場面や、わくわくする場面だけが出来が良い。
アトラクションとして最高の映像。
(ドラマやネットでは作りが安いが、
映画なら予算があるからちゃんと作ってある)
美しいセットや衣装を楽しむ。
音楽と場面のすごいマッチング。この曲好き。
画面のデザインがカッコいい、きれい、好き。
共感できる場面がある。
だいたい似たようなテンションが保たれている。

これらは、
面白い映画の一要素として、
「おもしろかった」という感想に含まれることが多い。

ストーリーが良かったことをうまく言える人はいない。


ターニングポイントが劇的であったとか、
焦点が上手に保たれ、適度に息抜きがあったとか、
モチーフとテーマのずらしが興味深いとか、
最初に前振ったあれがここで効いてくるとはとか、
メインテーマとサブテーマのつながりとか、
主人公の弱点の克服の仕方がとても良かったとか、
構成が巧みで先を読ませなかったのが良かったとか、
全体のリズムの支配がよいとか、
このテーマが何故現代に意味があるのかを考えたとか、
あれがあれを象徴しているのが良かったとか、

そういうものについて、
きちんと批評できるひとはとても少ない。


前者は目に見える物を言っている。
後者は目に見えない物を言っている。

そしてストーリーは目に見えないものである。



ストーリーは要らないのかな。
時々考えてしまう。

いや、皆が、
目に見えることしか語れないだけではないかと、
思いたい。

ストーリーは「流れの構造」のようなものだ。
目に見えないし、意識できない。
しかし私たちはそれを、
「言葉」だけを武器につくる。

実のところ、脚本を読んで、
「セリフ」がいいとか悪いとかしか言えない人は、
ストーリーが見えていない。


その人たちに分かるように書くには、
いいセリフを書くしかないかも知れないね。



僕は、もはや脚本が読める人がほとんどいないんじゃないかと、
ちょっと諦める事件があった。
シチュエーションとセリフとムードだけ見てて、
構造とか落ちとかいらないんじゃないかって。

小説を書き始めたのも、
脚本形式では一般の人に馴染みがないから、
という思いがあり、
自分のストーリーを語る手段として、
脚本形式では発表できないからと考えたからだ。

小説がうまくなれば、僕に脚本は必要なくなるのか、
それは分からない。


世の中はガワだけ消費できれば良くて、
中身を欲しがっていないのかも知れない。
それでも、
そのガワに引っかかって中身をのぞいた人が、
きちんと満足できるような、
中身を用意したいと思う。

本質を見る目がない人はいつの世にもいるし、
本質を見る目がある人も、いつの世にもいる。

どちらに向けても、つくるべきだと思う。
posted by おおおかとしひこ at 17:14| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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