配列設計には二つの大きな要素があると思う。
シフト方式を決定することと、
配字を決定すること。
ほんとはその前に、
JIS/USキーボードなのかはたまた自作キーボードなのか、
物理配列をどうするのか決定しなきゃいけないんだが、
まあ普通はスタンダードなJISキーボードで動くものを作ろう、
というのが最初だとは思う。
薙刀式の場合、
センター連続シフトと配字が、先に決まった。
後から遅れて、
濁音同時押し、半濁音小書き同時押しのシフト方式を作り、
それを加味して配字して、
そのあとに拗音同時押し、外来音同時押しのシフト方式を作り、
それを加味して配字した。
そもそもの配字方針が、
「僕の直感的な指の置き方に、
音がいてほしい」というものなので、
それに合わなくなるシフト方式は採用していない。
親指2シフト方式はどうしても馴染めなかったから、
シングルシフトにしたし、
中指シフトもイマイチ好きじゃなかった。
あと、2シフトになるのは記憶負担が大きいから、
どうしてもシングルシフトにこだわった。
後置の濁音キー、半濁音キー、小書きキーを検討したこともある。
採用しなかったのは同時のほうが楽だからで、
文字キー同時押しが可能だということを、
下駄配列から学んでいたからだ。
拗音同時押しを採用したあたりで、
排他的配置という真の配字規則に気づき、
直感的な配置との折り合いをつけながら、
アルペジオを増やすようにしながら、
バージョンアップしてきた感じ。
シフト方式が合うのか?
配字が合うのか?
さまざまな配列が作られているけど、
これらは独立した問題じゃなくて、
絡み合った複雑な問題だと考える。
たとえば新下駄や月では、
シフトに使う中指と、アンシフトをアルペジオにするような連接を考えて、
シフトを打つことを快適にするように設計したりする。
薙刀式でもそれは意識していて、
センターシフトを押しながらでも押さなくても、
文字キー同時押しはどっちでも良いとか、
(シフト文字→単打文字の濁音同時押しのとき、
シフトは押しっぱなしでもOKとか)
いくつかの言葉で濁音同時押しの連接を良くしているとか、だ。
同じ配置でもシフト方式が異なれば、
配字は変わっていくだろうし、
同じシフト方式でも、
配字感覚が違えば違ってくるだろう。
薙刀式はセンター連続シフトと、
濁音半濁音小書き同時押し、
拗音外来音同時押しによって、
1モーラ1アクションを実現した、
他にないシフト方式の組み合わせなんだなあ、と、
他の配列を見ていると思う。
清濁同置と別置で全く感覚も異なるだろうに、
清濁半濁小書き、拗音外来音同置という、
相当尖った配字であることも、
実は他にない特徴だったりする。
このへんも、
シフト方式と配字が絡み合って分離できないところ。
薙刀式はそろそろ完成かもなあなんて思ってだいぶ経つ。
次のv10への変更点が、「ね」「む」の入れ替えだけしかないようだ。
つまり、
「このシフト方式では、配字は最適化された」
ような感覚になりつつある。
(また思いつけば動くかもしれないが)
配字の大まかなものを思いつく
→それに最適のシフト方式を
→それに合わせて字が動く
→シフト方式を変更
→それに合わせて字が動く…
の変動を経て、
もうこれ以上どう動かしても効率が悪くなる、
(直感から遠くなる)までやることが、
配列作りなのかなあ。
新下駄開発記では、
シフト方式を先に決めてしまい、
配字だけをしていたことがわかる。
月系列、親指シフト系列でも、
シフト方式を変更することはまずない。
「このシフト方式がベストなのかなあ」
なんて疑問は途中で生まれないのだろうか。
迷ったら負けと思ってやりきるのか、
その辺はよく分からない。
ほとんどシフト方式は直感的に決まるような気もしなくはない。
それこそ、指の感覚で決まるような気もする。
ぼくは薬指シフトが苦手で、
下駄配列の時は濁音だったからわかりやすかったけど、
新下駄や月系の薬指シフトは苦手意識がある。
一方苦もなくスルスル行ける人もいるんだろう。
この辺の感覚は、
なかなか言葉にしづらい。
配列って触覚の設計なのかも知れず、
だから言葉で捉えづらいのかも知れない。
2018年10月06日
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