2018年10月07日

「好き/嫌い」が映画を壊した

僕はわりと男女差別を良くする。
本来は男女同権主義者だが、
男も女も100%良いと思っていなくて、
どこかしら欠点を抱えていると考える。
その欠点の部分が大きく出ると、社会に悪影響を及ぼす。

で、男の欠点に関してはたくさん知っているのだが、
女の欠点については成長するにつれて知ってきたので、
「今まで気づいていなかったのだが、これは女の欠点だったのか」
と発見することがよくある。
だから女差別になりがちなのを断っておく。

で、本題。
女は「好き/嫌い」の軸でものごとを判断しがち。


好き嫌いで判断することで、
捨てられてしまうものがある。

「好きではないかもしれないが、
吟味すれば価値のあるもの」だ。
あるいは、
「今好きでも嫌いでもないが、
知れば好きになるもの」もだ。

あるいは、
「あなたが嫌いなだけで、
全員には価値のあるもの」もだ。


逆に、好き嫌いを重視するが故に、
蔓延る間違いもある。

「好きなものだけ提出するだけの、
中身がないもの」。例えば色恋営業だね。

「好きが故の、メクラ」。

「それを知った上での、
好きなガワだけ貼り付けて中身のないものを量産し、
儲け続けること」。

「それをやり続けたが故に、
もはや『中身の作り方』を会社組織として忘れてしまったこと。
具体的に言うと、下から上げられてきた中身を上が潰すことで、
いつまでたってもガワだけのものしか、
その会社で作られないこと。
そしてそれに無自覚で、『利潤追求が会社の目的』と開き直り、
文化を更新するべきことを忘れてしまうこと」

つまり、
「中身のないガワを作る守銭奴のはびこり」
を淘汰できなくなる。

中身のあるものを作りたい人は、
自腹で作る以外に方法がなく、
圧倒的な物量差に負け続けている。



邦画でいうと、
人気芸能人を起用しただけの、
中身のないプログラムピクチャー、
人気芸能人を起用しすぎたため、
がんじがらめになって中身が削られている作品、
などがその顛末で、

ハリウッド映画でいうと、
ファンしかもはやカネを出さないシリーズ物で、
単発よりも商売が読めるからそればかり作り続けられ、
外に開いていないストーリーなどである。

これらは、女のせいだ。
観客の女のせいだ。

そして、女のプロデューサーのせいで、
女の観客動員しか考えていない配給会社のせいだ。


女は一旦嫌いになったらとことん嫌いになるから、
「嫌われないこと」を第一に考えてしまい、
現状維持という名の縮小再生産を繰り返す。

こうして、
日本は先進国から崩れ落ちた。


嫌われても正しいことをする、
嫌われても本当に価値あることをする、
嫌われても再び好きにさせる、
好き嫌いとは違う軸で戦う。

こうした志は、女の前では無力だ。


ここでいう女は、女の欠点を露骨に持った女のことを言う。
全ての女がそうだとは言わないが、
その傾向が集団として現れた時、
その集団は無能化する。

日本人は個人はとてもよい。
集団になると途端にバカになる。

女を集団としてみると、本当に好き嫌いでしか見ていない欠点が、
如実に目立ってくる。



僕は、映画は文化を更新するべきものだと考えている。
70年代の「時代を作ろう」という空気で育ち、
80年代の文化爛熟を見て、
90年代の世紀末的爆発で就職した。

だから一生、文化の更新をするんだと思っていた。

00年代の中盤ごろかな、減速がはじまったのは。
ちょうどシネコンが発達し、
製作委員会システムが一般的になって、
世界の開発や拡大より維持が目的となった頃だろう。

女は開拓しない。
開拓したものを分け合い、選別するのみだ。


つまり、女のせいで、
映画はフロンティアではなくなり、
日本はフロンティアではなくなった。

今のフロンティアは中国かね。
フロンティアは西部のようなゴールドラッシュなのか、
植民地なのかは知らない。


繰り返すが、
女の集団としての欠点が、
それらのブレーキになっているのは確実で、
ビビる男たちがブレーキを踏み続けたせいで、
開拓者の卵は死んだ。

特定の女を非難していない。
集団の欠点を指摘しているだけで、
じゃあどうすればいいのかは分からない。

新しい脚本を書いても、
「売れる保証がない」=現状好かれていない=好きでしか金が動いていない
のせいで投資を受けられず、
どんどんフロンティアが沈んでいく。

だから、フロンティアは、
投資が不必要な無料メディアから、
すなわちyoutubeから出てきた。

しかしユーチューバーも、
もはや好かれる/嫌われるの軸へ移動していて、
今そこがフロンティアとは限らない。


とても問題だ。
しかし女を殺して男の楽園を作っても、
ろくなことがないのは予想できる。
(「女だけの村」を作れば理想郷なのに、
というツイッターがボコボコに論破されていたのは面白かった)


映画は、たくさんの金がかかる。
10億は必要。
毎年何本も作り、数年単位で回転できることが必要。

映画は資本主義の権化だ。
資本主義の行き詰まりとともに、
行き詰まっている可能性がある。

男たちが行き詰まり、女たちが縮小させた。
資本主義の歴史はざっくりいうとこういうことかもね。



次の面白い映画を作り、
文化を更新するためには、
僕が好かれればいいのかも知れない。

僕はそっちには才能がない。
特定の女子には好かれたかも知れないが、
集団としての女にキャーキャー言われるわけではない。
残念だ。


ハリウッドでは、好かれた俳優が新人の本を読み、
金を集めて映画を作る例がある。
賢い人が俳優になる国は違うね。


映画は好き嫌いではない。
嫌いな人が好きになる力を持っているものだ。
それが、
好きな人に媚びるものに、
今成り下がっている。

ざっくりいうと、それが邦画の衰退の原因で、
ハリウッドが今傾きかかっている原因かも知れない。
posted by おおおかとしひこ at 12:43| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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