1というのは、1幕、1話、ファーストシーン、シーン頭、一言目、
などすべての1を考えている。
それに必要なことはなにか?
注意喚起と、内容の前提の提示だと思う。
注意喚起は分かるだろう。
地味に始まると気づかれない。
「あ、はじまってたの?」ってなる。
だから「派手に始める」というのは悪くない選択の一つだ。
問題はその派手が落ち着いた時が実は本当の1で、
それが面白くないことが多いことだ。
本当の1はなにかというと、
つまり内容の前提の提示だ。
この内容をすべて理解し堪能するだけに必要で、
しかも最小のものをどう提示するかだ。
主人公は誰か。
問題は何か。
この二つが最低必要だろう。
主人公の性格は必要?
それが内容に大きく関わるならいるね。
ただ面白いだけならそれはガワだ。
勿論、ガワを被せれば注意喚起の役目にはなる。
主人公の年齢は必要?
それが内容に大きく関わるならいるね。
なくても成立するならなくてもいい。
それが観客層にとって共感が高ければ、
それが注意喚起がわりのガワになる。
主人公の弱点や渇きは必要?
それが内容に大きく関わるなら必要だ。
(むしろそれは内容から欠けてはならない)
全く内容に関わらないが、
感情移入や共感を得られるために必要なら、
それも注意喚起のガワである。
ここがどこか、いつかは必要?
無いと不安になるならあった方がいい。
もしその世界観が内容に大きく関わるなら、
是非とも必要だ。
雰囲気づくりでしかないのなら、
それも注意喚起のガワである。
つまり。
あなたは、
是非とも必要な前提の提示のために、
全内容を把握しているかどうか、
なのだ。
それに必要なものは前提の提示になるし、
不要だがあった方がいいものは、注意喚起のガワなのだ。
つまりは、1の骨とガワを、
あなたは分離して見えているか?
ということなのだ。
1の難しいところは、
あなたが全内容を把握していないときから、
書き始めることだ。
だからほんとは、2から書いて、
最後まで書いてから1を書くのがいいんだよ。
そうすれば余計なことを書かずに、
すっと内容に入れる1になるだろう。
ガワを増やしすぎることが、
とてもよくある1だ。
的確なところから始めていない
(本題の手前から始めすぎている)、
ムードに酔っている、
などと批判されることがあるが、
そうではなくて、
骨とガワを、作者が分離できなくて、
困っている、
ということになるのではないだろうか?
映画「いけちゃんとぼく」の1、
ファーストシーンは失敗だ。
最初の稿では原作同様、泡から始まり、
溺れるところからだった。
それが横槍が入り、海の墓場から始めることになった。
僕の捉えた内容とは、
「自信がない子供とそれを支えるイマジナリフレンドが、
逆境を解決したとき、イマジナリフレンドは消えていた
(そしてその種明かしとしてのラブストーリー)」だが、
プロデューサーの捉えた内容は、煎じ詰めれば
「大人のラブストーリー」であった。
「大人のラブストーリーなんだから墓場から始めろ」
という主張であった。
なんなら、「タイムスリップするところから始めれば?」
なんて酷い意見もあったぐらいだ。
僕はあんな馬鹿と二度と仕事しない。
内容を履き違えると、1からヨレる。
揉めると1が分散する。
(日本人は玉虫色の結論にしたがるので、結局二つオープニングがある、
みたいなことになってしまった)
僕は今でも、ファーストシーンを間違えたと考えている。
さて。
本日夜、「てんぐ探偵」の第二シーズンがはじまる。
この二年ほどかけて準備してきたものが、
発表のレベルに来た。
全部読んでない人もいるだろうし、
初めて読む人もいるだろう。
通しで読んだ人も勿論いるだろう。
どんな人でもすっと入れるような、
1を用意したつもりだ。
一言目、ファーストシーン、1幕、
そして(第二シリーズの)一話。
なかなか完璧な1になったと思う。
勿論見る人は、どれが骨でどれがガワになるかは、
最後まで内容を把握しないと分離できないから、
完璧な1かどうか判定するのは、
完結してからになるだろうが。
ちょっとは小説が上手くなったかも知れないので、
お暇ならお付き合いください。
1の役割はなにか?
何が内容の前提の提示で、
何が注意喚起のガワか?
あなたはそれを腑分けして、
双方をコントロールしつつ、
渾然一体になったスープにしなければならない。
逆にそうなるまで、1を始めてはいけないのだ。
2018年10月09日
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