2018年10月12日

提案ではなく、欲しいものを出しているからだ

映画が衰退したのは、
日本の産業が衰退したのは、
提案をしなくなって、
欲しいものを調査して、そればかり作っているからではないか。


女を喜ばせるにはどうすればいいか。
その女が欲しいものをどうにかして調査して、
「私の欲しいものがなんで分ったの?」
と言わせることだろうか。

僕はそうではないと考えている。
その女が想像もしていなかったもので、
すごくよいものがいいと思う。

既に知っていることは、金を出せば買える。
ほんとうに欲しいなら自分で買うだろう。
欲しいものを上げることは、
それの時間を短縮しただけだろう。

欲しかったわけだから喜ぶは喜ぶ。
でもそれだけだと思う。
それを手に入れたらどうなるか、
それの欠点、
それがどう自分を変えて、
どのあたりが限界なのか、
そんなもの、既に調べているはずだ。

つまり、欲しいものを得るだけでは、
「想定されていた喜び」
を超えることはない。


想像もしていなかったものを提案するのが、
ほんとうの喜ばせ方だと思う。
ほんとうは、想像を越えてほしいのだと思う。

提案だから、当たりはずれがある。
はずれのリスクはある。大外れだろう。
しかし当たりのリターンは、
「想像していたもの」
よりもはるかに大きい。


リターンとリスクと安パイという考え方は、
クリエイティブに必要とは思えない。
最大に世界を変えることがリターンであるべきだと思う。

想像もしなかった面白さを作ることだ。

それをどう売るかは、売り手が考えることだ。


それをどう売ればいいのか分からない、
馬鹿な安パイ野郎が増えただけだ。


今画期的な商品が世の中に出ないのは、
「それを出しても売れない」
と、事前につぶされるからである。

家電がそろそろ中国に追い抜かれるだろう。
日本製のPCを使っている人ってどれくらいいるんだろう。
もう日本のモノづくりなんて、
駄目かも知れない。
だって安パイしか作らないからね。

想像もしなかった未来へ連れていくことが、
モノづくりの目的であり、結果だ。
すべては提案だ。

売れるか売れないかは分からないから、
提案するのである。
売れないのは、理解をさせる努力が足りないか、
それが面白くないかのどちらかだ。

需要ばかり供給していては、
デッドエンドだ。

今の日本には提案がない。
(情弱を騙してかすめ取ろうとする提案が増えたのは、
ほんとうに衰退なんだなあと思う)


供給なんて考えるな。
新しい未来へ連れていけ。


そして、それが失敗したら、捨てればいいだけのことである。
ひょっとすると、もう捨てることが出来ないくらい、
地球が狭くなってしまったのかもしれないが。
posted by おおおかとしひこ at 09:39| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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