2018年10月12日

若者の闇

後輩の言葉で面白いのがあったので。


映画をツタヤで借りるとき、
5本セットだと1000なのだそうだが、
「その5本全部当たりじゃないと嫌だから、
5本ないときは借りない」のだそうだ。
1本借りるのは得がないから借りない、
3本あっても5本ないと借りないという。

3本あれば適当な2本足して見なければいいじゃないか、
と言っても、
5本当たりがないと嫌なのだそうだ。


映画なんて100本あって1本当たりがあればいい方だ。
そのはずれと闘うのが鑑賞というものだ。

失敗が許されない社会になった影響ではないか、
と揶揄してみようか。

僕らが育った時代は、
失敗が当然だった。
初手失敗、みたいなことだ。
失敗の武勇伝は沢山みんな持っている。
問題は、その失敗からどう立ち上がったかだ。

失敗からどう学び、次の成功につなげるかが人生だった。

しかし、いつの間にか、
失敗を許さない社会になってきた。
失言即失脚、失敗即更迭。

やり直しは一度も許されない。
(それって悪の組織の常套だったのに)

その社会で育った若者は、
極端に失敗を恐れる。
大人も失敗を恐れているから、
失敗しそうならやらない、というくらいだ。
草食系男子が増えているのも、
振られるくらいだったら、挑戦しないほうがいいからだ。

それが映画選びにまで浸透するとこうなるのか、
と少し驚いた。

5本全部当たりなんてあるわけがない。
そもそもハズレをセット売りして回転させるのが目的だというのに。

そういう若者は、
当たりと保証されている映画しか見ないし、
欠点があるがものすごいところがある、
凸凹した映画よりも、
完璧なものしか好まないのではないか。


つまり、
そんな中で、チャレンジして、成功を勝ち取っても、
若者は、「完璧ではない」と、評価しないかもしれないね。

完璧でないならいらない、
なら、映画は数本しか残らないんじゃない?

文化は、豊かであるべきだ。
ハズレも当たりもあってみんないい。

映画はそうなるべきで、
失敗を恐れているから、
(少なくとも邦画は)
すっかり同じようなものにしかなっていない。


その若者は女だが、男はもっと委縮しているかもしれないなあと考えている。
そういう女の上司が止めるからね。
鎖につながれて育った象の逸話のようだね。

そんな若者ばかりではないと思うが、
それじゃ出来ることも一生できなくなるよね。


成功している時間より、失敗している時間が多いのが、人生だと思う。
posted by おおおかとしひこ at 16:15| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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