教科書ではわかっていても、
なかなか使えない方法。
前記事の日記の最後の一行は、
対比法だ。
対比法とは、
真逆のものを置いて対比することだが、
それは「何のためにそれをするか」だ。
先に表現したいことがあって、
対比を表現するのは目的ではないことに留意されたい。
例で言えば、
「旭川はアツイ」が言いたいだけで、
ただ言っても面白くないから、
表現のテクニックに落とし込んだだけだ。
そのテクニックが擬人化だろうが、
例え話だろうが、対比法だろうが、
なんでもよくて、
たまたま思いついたのが対比法というだけの話。
表現したい内容: 旭川はアツイ
単純強調: 旭川はとてもアツイ
強調語を変える: 旭川はめっちゃアツイ
強調語その2: 旭川はベリーホット
これらの表現替えはすぐ出来ることだろう。
しかしそれはテクニックとして面白くない。
普通だからだ。
下手くそなコピーライターは、
この強調語違いしか考え付かない。
真夏のようにアツイ(直喩)、
ハワイのようだ(直喩)、
サンシャイン級だぜ、
マグマだ(暗喩)、
鶏ガララーメンスープのようだ(特産品と絡める)、
などなど。
これは、
あるものに直接ガワをかぶせただけで、
上手なかぶせ方ではない。
旭川は僕を熱く抱きしめた。(擬人法)
雪道の荒野の中に、暖かい暖炉を見つけたようなものだ。(例え話)
ピッチャーは、それを受け止めるキャッチャーを見つけて、
初めて球が全力で投げられる。(例え話)
なんて、「全然違う方向から作る」のが表現というものだ。
で、対位法は、
その意味を言うために対比を使う、
というだけの話。
北海道はもう冬の入口という時候の挨拶で締めるのを利用して、
旭川アツイと対比を使うだけのこと。
これによって、
ただ旭川がアツイということ以外に、
北海道はもう冬直前なんだなあという旅情や、
僕は旭川を好きになったよ、
というような気持ちも、乗せることができる。
これがガワに被せられた余剰のディテールだ。
素人のみなさんは、
神はディテールに宿るなどという。
逆だ。
言いたい中身があり、
それに神が宿るほどのディテールを、
表現上のテクニックで被せていくのである。
ディテールは先ではなく、
中身が先で、
その中身をそのまま刺身で出してもつまんねえなあと判断したら、
ディテールに神を宿して調理するのである。
その調理法は色々あって、
何をどう選択するかは、
いろいろある中からフラットに選ぶのではなく、
結局は、「思いついたから出来た」
でしかないのだ。
リライトが難しいのはまさにここで、
ガワを別のものにしたときに、
以前の原稿ほどのディテールを思いつけないことの方が多いからである。
対位法でやろうというのは思いつきに過ぎない。
擬人法にしてみたり例え話にしようとしてみたり、
どれだけの引き出しを持っているかで決まると思う。
そしてプロというのは、
その引き出しが揃っている人のことをいうわけだ。
(全部できるとは限らず、得意不得意はある)
2018年10月14日
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