2018年10月15日

多様性多様性いうくせに

私たちは何故同じキャラクターを求めるのか?
作者が未熟だから、という方向性から考える。


人生経験が少ないと、
「世の中にはいろんな人がいる」
ということを本当には理解できない。

頭では理解できるだろうが、
物語作者の場合、
「自分の中に複数の人格を飼う」必要がある。

その複数の人格に、
きちんと多様性があるかどうかなのである。


自分と同性のキャラクターは比較的バラエティに富む。
友達と色々付き合ってきただろうし、
野郎同士、女同士の呼吸があるだろう。

大抵の場合異性がひとつの典型に収まるのが問題だ。

理想の女性、理想の男性を押し込めがちだ。

清楚で、受け入れてくれて、ちょっとツンデレでちょっとエッチ。
イケメンで細マッチョでやさしくてリードしてくれて、
ちょっとわがままだけど少年らしいところもある。

大体はこんな感じか。

この類型以外の異性を何パターン描けるか、
ということを考える。

ハーレムものの類型のパターンではなく、
「リアルに生きている人」のパターンである。


物語に登場する人物は、
ある程度類型的になる。
ユングが分析した通り、
人は無意識の中に類型人物を飼っているからである。

しかしそれが判を押したような、
同じ人物では、
面白くもなんともないではないか。

多様性というからには、
今まで見たことのないヘンテコな、
面白い人物を出すべきだ。

色々な考え方があり、
色々な立場があり、
平和だったり揉め事が起こっていることを知ることだ。

勿論知るだけじゃなくて、
物語の中に登場しなければ意味がない。


アニメしか見てないなら、
アニメみたいな人物しか描けなくなる。

世の中の沢山の人と知り合い、
その人の考え方や性格や経験や立場や、
目的や動機の多様性を知るべきだ。


そうじゃないから、
作者はいつまでたっても同じキャラクターばかり書くのである。


そもそも人生がリア充じゃないから、
それを満たすために書く人は多い。

編集者の人は、
とりあえずキャバクラにでも連れてって、
人間の多様性を学ばせるといいと思う。
ブスの人生ってほんとに面白いからね。

そういう意味では、
次回の旭川ロケでは人妻スナックにでも行こうと思っている。
濃い人生の話を聞きたい。


勿論キャバクラやスナックだけではなく、
色んな人の人生を見ることは、
作家ならばやるべきだ。
見るだけじゃわからない、内面を知ることは、
三人称文学である脚本には、
是非とも必要なことだ。


もし自分がそういう境遇だったら。
もし自分がそういう考え方だったら。
まったく違う人の話を聞くことは、
「あり得たかも知れない自分」に出会うことかも知れないよ。
posted by おおおかとしひこ at 13:06| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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