僕は侮辱や差別や嫌がらせは、してもいいと思う。
悪意があっても無知ゆえであってもだ。
問題は、当人が抗議した時に、
ごめんなさい、それがそうなるかはわかりませんでしたと謝るのではなく、
権力でねじ伏せることだ。
ハラスメントは発言狩り、思想狩りではない。
もみ消しである。
発言狩りばかりしているから、石も投げられない。
石を投げて初めてコミュニケーションがはじまる。
急所に当たったら謝ればいい。
急所かどうかは、当ててみないと分からない。
石を投げあい、勘所がわかるまでには、
何度か痛みを覚える必要がある。
そのプロセスを発言狩りしてしまっては、
本当に分かり合える機会を失うことになる。
悪意だろうと無知だろうと、
権力による抗議のもみ消しこそがハラスメントだ。
もみ消しはコミュニケーションではない。
それを断罪するべきである。
ハラスメントを「嫌がらせ」と訳したやつは死ねばいい。
「嫌がる」当人のニュアンスが強すぎる。
原義はharass: 犬をけしかけるである。
セクハラは性的攻撃と訳すべきだ。
2018年10月17日
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