人の動機には様々なものがある。
長期的には理性で、
短期的には感情が支配しがちだが、
必ずしもそうとは限らない。
反例はいくらでもある。
一生を愛のために捧げたり、
損得で今夜セックスする人を決めたりするのは好例だ。
あるいは任期のことだけ考えて、
小池百合子に豊洲移転を任せて、
とっとと引退した石原都知事の例もある。
短期的には合理で動いて見せていながら、
長期的には感情で動いている(好印象のまま引退する)。
そしてそれ自体が大きな合理のもとにいたりするわけだ。
民主主義でこれを断罪する方法はないので、
民主主義は欠陥だねえ。
対立候補がない場合一党独裁になるのも、
民主主義の欠陥の一つだ。
まあこれはいい。
もう少し卑近な例にしよう。
怒ったら殴る。
これは長期的には合理ではないが、
短期的には感情が支配するわけだ。
あるいは、「ここで怒っていい」という場を巧妙に作り、
殴る場を作る人もいる。
長期的には感情で動き、
短期的には合理で動き、
ごく短期的に感情で動いているように見せるわけだ。
人間の行動の動機には、
長期的な動機、短期的な動機、
合理の動機、感情の動機がある。
さらに軸を増やすと、
利己と利他がある。
「ここは俺に任せてお前らは先に行け!」
は利他の動機だ。
「カッコつけやがって」
「ちょうどこいつと決着をつけたかったのさ」
ならば、
利他かつ利己的な動機になるよね。
二つの相反する要素は、
どちらかしかないわけではない。
両方ある時もある。
利害が一致して行動するライバルは、
利他かつ利己かつ合理で動くが、
感情は相反しているわけだ。
だから小競り合いというコンフリクトの場面があり、
感情を抑えなければ、の部分がドラマになるのである。
人は動機を選べるのか?
いや、選べない。
シチュエーションが動機を決めてしまうと思う。
こういうことが起きるなら、
こういうことを思うだろうし、
こういう動機を持つのも無理もない、
という風に動くのが自然というものだ。
勿論そのシチュエーションは、
自然に起こることもあるし、
誰かが意図的に作り出したものでもあるわけだ。
あなたの登場人物が、
「なぜここでこうするのか/こう言うのか分からない」
なんてことを、
とてもよく言われることだろう。
それは、作者が思っている動機と、
観客が受け取り、類推している動機に差があると言うこと。
その人物の、
長期的な動機は何か。短期的な動機は何か。
合理的な動機は何か。感情的な動機は何か。
利己的な動機は何か。利他的な動機は何か。
これらを整理して、何が伝わっていないのかを分析しよう。
(そんなの考えていない、も含んで良い)
これが伝わればわかるだろう、
ということが特定できたら、
それが「わかるわー」と思われるような、
シチュエーションを作れば良いのだ。
セリフで説明するのは三流だ。
シチュエーションで見せれば、
この人がこうなるのもわかるわ、となるのだ。
勿論、
性格や哲学によって、
優先順位が変わることもある。
その人がそれをどう思うかは、キャラ差がある。
しかしキャラ差を覆すのは、
シチュエーションだったりするんだよね。
キャラを大事にしすぎると、
ドラマにならないことに注意されたい。
そのキャラがキャラを崩す時に、
ドラマが起こる。
動機が生まれるからね。
2018年10月18日
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