2018年10月18日

合理が動かしているのか、感情が動かしているのか

人の動機には様々なものがある。
長期的には理性で、
短期的には感情が支配しがちだが、
必ずしもそうとは限らない。




反例はいくらでもある。

一生を愛のために捧げたり、
損得で今夜セックスする人を決めたりするのは好例だ。

あるいは任期のことだけ考えて、
小池百合子に豊洲移転を任せて、
とっとと引退した石原都知事の例もある。

短期的には合理で動いて見せていながら、
長期的には感情で動いている(好印象のまま引退する)。
そしてそれ自体が大きな合理のもとにいたりするわけだ。

民主主義でこれを断罪する方法はないので、
民主主義は欠陥だねえ。
対立候補がない場合一党独裁になるのも、
民主主義の欠陥の一つだ。

まあこれはいい。
もう少し卑近な例にしよう。


怒ったら殴る。
これは長期的には合理ではないが、
短期的には感情が支配するわけだ。

あるいは、「ここで怒っていい」という場を巧妙に作り、
殴る場を作る人もいる。
長期的には感情で動き、
短期的には合理で動き、
ごく短期的に感情で動いているように見せるわけだ。


人間の行動の動機には、
長期的な動機、短期的な動機、
合理の動機、感情の動機がある。

さらに軸を増やすと、
利己と利他がある。

「ここは俺に任せてお前らは先に行け!」
は利他の動機だ。
「カッコつけやがって」
「ちょうどこいつと決着をつけたかったのさ」
ならば、
利他かつ利己的な動機になるよね。



二つの相反する要素は、
どちらかしかないわけではない。
両方ある時もある。

利害が一致して行動するライバルは、
利他かつ利己かつ合理で動くが、
感情は相反しているわけだ。

だから小競り合いというコンフリクトの場面があり、
感情を抑えなければ、の部分がドラマになるのである。



人は動機を選べるのか?
いや、選べない。

シチュエーションが動機を決めてしまうと思う。

こういうことが起きるなら、
こういうことを思うだろうし、
こういう動機を持つのも無理もない、
という風に動くのが自然というものだ。

勿論そのシチュエーションは、
自然に起こることもあるし、
誰かが意図的に作り出したものでもあるわけだ。


あなたの登場人物が、
「なぜここでこうするのか/こう言うのか分からない」
なんてことを、
とてもよく言われることだろう。

それは、作者が思っている動機と、
観客が受け取り、類推している動機に差があると言うこと。


その人物の、
長期的な動機は何か。短期的な動機は何か。
合理的な動機は何か。感情的な動機は何か。
利己的な動機は何か。利他的な動機は何か。

これらを整理して、何が伝わっていないのかを分析しよう。
(そんなの考えていない、も含んで良い)


これが伝わればわかるだろう、
ということが特定できたら、
それが「わかるわー」と思われるような、
シチュエーションを作れば良いのだ。

セリフで説明するのは三流だ。
シチュエーションで見せれば、
この人がこうなるのもわかるわ、となるのだ。



勿論、
性格や哲学によって、
優先順位が変わることもある。

その人がそれをどう思うかは、キャラ差がある。
しかしキャラ差を覆すのは、
シチュエーションだったりするんだよね。

キャラを大事にしすぎると、
ドラマにならないことに注意されたい。
そのキャラがキャラを崩す時に、
ドラマが起こる。
動機が生まれるからね。
posted by おおおかとしひこ at 12:57| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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