2018年10月19日

【新下駄配列】中断する理由

新下駄配列はいい配列だ。
ただ僕には合わなかった。未練はあるので「中断」とした。

僕のような「個性的な」(=平均より偏りのある)
人間は、新下駄は向かない、かもしれない。


新下駄の特長は大きくふたつある。
1. 速度。
2. 親指キーを使わなくて済むこと。

2.から言及すると、
親指シフト系列(ニコラ、トロン、飛鳥、蜂蜜小梅などなど)
の最大の欠点、「キーボードを選ぶ」を、
クリアしていることはとても大きい。

昨今日本語キーボードがクソみたいなのばかりの中、
高級志向であるUSキーボードでも使えるのもいい。

キーボードを自分で選べるのは、
入力について少しでも考えた人にとって、
大きな要素だと思う。

僕だって薙刀式をUS用にして、以後JIS版は使ってないし。
(でも自作キーボードに手を出すなら、
確実に親指キーを使いまくるだろうけど)


1.について。
言うまでもなく最速配列最有力だと思う。

外→内に練り上げられたアルペジオの運指、
シフトキーからの運指も上同様になっている点、
清濁別置による運指最適化、
拗音シフトによる速度アップ、
100万字統計から導き出された二連接運指の練りまくり、

などがその要因で、
僕みたいな素人とは違う膨大な統計的根拠を持つ。
だから、
万人にとって最速を手に入れられる可能性がある点で、
新下駄は薙刀式よりもすごいと思っている。


ここから、
「表現とはなにか」という話になる。

新下駄配列は、100万字統計が配字と連接の根拠だ。
つまりは「統計に基づいた」と言って良い配列だ。
(勿論作者kouyさんの直感も大事にしたとあるから、
気づかない部分に使いやすさの配慮があるかもしれない。
でも大きくは統計だとする)

「統計に基づいた、平均的な文章を書くことが、
表現か?」という問いをすることにしよう。

僕は否だと考える。
人並みのことからいかに突出するかが表現であり、
平凡な表現など捨ててしまえと考えている。

表現とは従来のものの更新であるべきだと考えていて、
過去の繰り返しは表現する価値がないとすら考える。

これに、新下駄の設計思想が合わないんだよね。


新下駄でなにかを書こうとすると、
打ちやすい運指へ時々誘導される感じがある。
「みなさんそうされてます」なんてコンシェルジュに言われているような感じ。
「まあ普通にはそうなるんだろうけれど、
俺はそっちに行きたいわけじゃないんだよ」
とその執事と話すことが、
時々あるように思う。

とはいえ、僕がどれほど個性のある文章を書いてるかは、
そんなに自負があるわけじゃない。
均せば統計の中に入ってしまうかもしれない。

だけど、時々「みなさんこうされてます」を感じるのは確か。


飛鳥を触った時は、
「俺はこれがいいと思うよ」を強烈に感じた。
「あんたは知らない。平均はこのへん。
でも俺はこう思う」を感じて、
それが飛鳥を気に入った部分だった。
(人が嫌う部分でもある)

それが良いか悪いか置いといて、
とりあえずその人に従おうと思えた。
人格というのは強烈なもので、
欠点と長所の二律背反が「面白い」と思えるわけで。

それは統計的な連接と運指には、感じない。
極論すると、自動生成配列には僕はなんの魅力も感じない。
ただし消えることが配列の役目、という二律背反もある。

しかし人は、統計的平均の人格を愛し、
従うことは出来ないのかも知れないと僕は考える。
(人工知能は人間を魅了して支配できるか?
というSFのテーマになりそうだ)


これは僕がMacのライブ変換を、
良しとしなかった理由に酷似している。

ライブ変換はクラウドにあるものから変換をするので、
僕の漢字の使い方、送り仮名の使い方に、
全然合わなかった。
「みなさんこうされてます」なんて僕にはどうでもよくて、
僕は僕の文章を書きたいのだ。


もちろん、
「全ての突出した個性は新下駄やライブ変換が合わない」
というつもりはない。
僕一人だけが新下駄と合わなかったという可能性もある。
「みなさんそうされてます」を嫌がり、
「みなさんそんなことはされてません」だとしても、
その部分が俺なんだからしょうがない。

あるいは、新下駄でいい表現をしている人も沢山いるかも知れない。
(調べようがないので難しいけど。
「かえうち」の統計を見る限り、新下駄使用者が多いのはわかる)



以下具体的な個人メモ。

・「ない」が合わなかった。
・句読点が合わなかった。(qwertyの句読点がすごく嫌い)
・半濁音は曖昧なまま。
・マイナー濁音も曖昧なまま。
・外来音が全く定着しなかった。

後半三つに関しては、もっと長いこと練習すればマスターしたかも。
だけど、練習し続けるモチベが持たなかった、
という感じかなあ。

僕が薙刀式を開発してなければ、
新下駄信者になっていたかも知れない。
良い公式は美しい。そういう合理的美しさを感じる。



ということで、
最近は「徹底的な個人試作」の飛鳥に興味が揺り戻されている。
中興の祖というか、
一旦完成宣言が出て安定版と言われた、
21c-290版を触り始めた。

僕はこれまで最終版しか触ってないので、
また違う感触のような気がしている。



配列作りとは、結局は、
「どの言葉をチョイスするのか」なのかも知れない。
人によって読む作家が違い、
言葉が違うのは当然といえば当然だ。
それでも話が通じるのが言葉のすごいところだよね。


新下駄配列はいまでもおススメです。
親指シフトなんてやってる奴はいますぐ新下駄を始めるべき。
指遣いの合理が桁違いだぜ。
経験者的には、
一ヶ月くらいお試し期間は見たほうがいいかもね。
二ヶ月〜三ヶ月もあれば秒2打以上で実戦に使えると思う。
posted by おおおかとしひこ at 14:45| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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