テーマのことを考えすぎてはいけないと思う。
真剣にこの時代に何を言うべきか考えると、
政治的発言が関係してくることになる。
それは政治的活動でやればいいことで、
創作でやるべきことではなくなってしまう。
親指シフトの使用者をたどっていくと、
なぜだか政治活動をしている人によくあたる。
カナ入力信奉者だから、右翼なのかというとそうでもない。
まあ日本語のことをちゃんと考える人は、
日本自体の事も良く考えているかもしれないが。
テーマのことを考えすぎて、
今日本はどうあるべきか、
世界はどう進むべきか、
なんてことを考えてもしょうがない。
いや、市民として考える意味はあるけど、
それを作るのは政治家であり、
私たちはそれを間接的にしか選択できないことに注意すべきだ。
もっとも、
架空作品に登場する哲学や、世界の在り方のほうが、
具体的な政治政策よりもよっぽど未来を見せることが出来る、
という事実はある。
でも、それがメインになるべきじゃないと思うんだよね。
物語の面白さ、良さというのは、
テーマが「この社会を変革するために有効だ」
という部分ではないと思うんだ。
むしろ、そういう現実と距離を置いたもののほうが、
現実逃避として有効じゃないか、
と思うのである。
だからドキュメンタリー映画は、
僕は苦手だ。
現実から切り離されて、別世界に行きたいときに、
現実と向き合うことはやめたいのだ。
架空は架空、現実は現実、と分けたい部分がある。
むしろ、フィクションのいいところは、
ぜんぜん現実と関係ないことを面白おかしくやっているのに、
それがまわりまわって現実に影響を与える、
という部分ではないだろうか。
理系が大学でやる波動関数なんてそれのいい例で、
現実は実数世界なのに、計算は虚数でやるんだよね。
で、計算結果の実数部分だけ取ると、現実への解になっている不思議。
物語は虚数世界のようなもので、
その出口だけが現実の器と一致しているイメージ。
だからその中身に関して、
現実となんの関係もないものになっているのが、
理想だと思うんだよね。
「スターウォーズには、
現実の政治的面が反映されている」
なんて批評は馬鹿じゃないかと思う。
まったく関係ない構造でやるべきで、
もし現実と似た構造がそこに見いだせるなら、
体の悪いパロディどまりではないか。
フィクションは、
現実と違う世界、現実と違うテーマを選ぶべきだ。
それなのに、今の現実と奇妙に符合し、
当てはまることが多い、
という距離感をもつべきだと、
僕は考えている。
例えばジブリ作品など
現実をテーマにした作品ほど消耗が早く、錆びやすいように思えますが関係はありますか?
現実と違うテーマと書かれていますが、物語の着想が現実にあることが多いので、それはすごく難しいことと思いました
現実と違うテーマで書かれた作品ではどのようなものがありますか?
よろしくお願いします
晩年の宮崎の政治色の強い作品は論外です。
「もののけ姫」はがっかりでした。そこから晩年が始まったと考えます。
現実は着想点としてはありですが、
「それがなかったとしても人間に普遍的な部分」までかみ砕いたほうがよいと考えます。
たとえばハリウッドを舞台にした「サンセット大通り」は、
ハリウッドが存在しなかったとしても、
普遍的な、「人間の欲望や狂気」について描かれています。
それでいてハリウッド批判になっているという。
同年の「イヴの凡て」についても同様ですが、人間の本質に迫ったという意味で前者を推しますね。
手塚治虫はそういう描き方が上手な漫画家だと思います。
ブラックジャックとかは、わかりやすい人間の本質があると思います。
システムを描くのではなく、人間を描くのが吉かも知れません。
スターウォーズ(4以外)は人間を描けていないので、糞映画です。
サンセット大通り見てみようと思います
人間を描くで言葉ですごく腑に落ちました
大岡さん、いつも楽しく拝見しております。
2つ質問があり、コメントを書きました。
> フィクションは、
> 現実と違う世界、現実と違うテーマを選ぶべきだ。
> それなのに、今の現実と奇妙に符合し、
> 当てはまることが多い、
> という距離感をもつべきだと、
> 僕は考えている。
1つ目なのですが、
この按配が、少し分かりませんでした。
例えば、スターウォーズや、パイレーツ・オブ・カリビアンや、
ロード・オブ・ザ・リングのような作品であれば、
フィクションであり、仰っしゃっている意味は分かります。
ただ、ロッキーは現実に近いのではないでしょうか。
インド映画「きっと、うまくいく」も現実に近いですし、
現代を舞台にしたほとんどの作品は、
よほど突飛な物語でない限りは、ほぼ現実です。
他のコメントにご回答されていますが、
手塚治虫のブラックジャックは、
人間の本質を描いています。
その人間の本質とは、まさに、
現実そのものではないでしょうか。
私たち人間が、日常生活の中で垣間見ている、
人間の業であったり、人間の美しさであったり、
それらの現実を、手塚治虫は描いているように思います。
大岡さんが仰っしゃる現実と架空の境目は、
どのあたりなのでしょうか。
2つ目は、現実と違うテーマとは、
具体的にはどういうテーマなのか分かりませんでした。
というのも、現実と同じテーマでなければ、
視聴者は最後まで見終わった後に、
物語を理解できない気がします。
現実とは違うテーマだけれども、
「現実と奇妙に符合する距離感」という
匙加減が、とても難しく感じました。
アドバイスよろしくお願い致します。
その匙加減こそが、その作家のオリジナリティだと考えます。
現実とファンタジーと考えると、
どこからどこまでを現実的と考えて、
どこからどこまでをファンタジーと考えるかは、
まさにその作家の作家性だと考えます。
僕の感覚では、
ロッキーもきっとうまくいくもブラックジャックも、
ファンタジー世界ですね。
その中で現実的なテーマ、
俺の全盛期はまだ来ていない、
ボールペンを作るのこそ科学だ、
命を求めること、
を扱っていると考えています。
これらのことを表すのに、
別の世界でもストーリーを構築することは可能、
というのは想像できるかと考えます。
世界戦のチャンスが突然くるのはファンタジーだし、
あんな学生寮があるのもファンタジーだし、
あんな医者がいるのもファンタジーだと考えます。
大岡さん、アドバイスありがとうございます。
> 世界戦のチャンスが突然くるのはファンタジーだし、
> あんな学生寮があるのもファンタジーだし、
> あんな医者がいるのもファンタジーだと考えます。
これらが現実ではなく、架空のファンタジーだとすると、
「2018年10月21日 ファンタジーと現実」
でも書かれていますが、
よほどリアル過ぎてしみったれた映画以外は
ほとんど全ての作品はファンタジーとも
言えるのではないでしょうか。
ロッキー、ブラックジャック、きっとうまくいく、
は現実だと思っていましたが、
ファンタジーだとすると、
例えば、トッツィーもファンタジーですし、
恋愛小説家もファンタジーですし、
レインマンも、ダーティーハリーも、
恋人たちの予感とかも。
よほどリアル過ぎてしみったれた映画といえば、
邦画「めがね」とか(笑)を思い出しますが、
あれもファンタジーといえば、ファンタジーな気もしますし。
ドキュメンタリー映画以外は、
ほとんどの作品は、ファンタジーになっている
と考えても良いものなのでしょうか。
ただしドラゴンとかSFとかの、
どファンタジーに比べれば、
事件とかひとつの設定(映画の中で嘘はひとつだけ)以外は、
全て現実ベースになっている、
というところが違いではあると思います。
小津とか山田洋次なんかは、
現実ベースに思わせて、巧妙にファンタジーをひとつ放り込んできます。
しかしリアクションは現実(的)だったりします。
一方しょうもない邦画や自主映画とかは、
全部現実の写し鏡をしていて、退屈です。
リアリティを追求するあまり、
何も事件が起こらない二時間になっていたり。
誤解を恐れずにいうと、全てのフィクションはファンタジーです。
あとはリアリティにグラデーションがあるだけです。
「起こりそうにない(ファンタジー)のに起こっている感じ(リアリティ)」
が理想かと。
とても、よく分かりました!
これからも、ブログをよく読み、実際の作品で実践していきます。