動機を強くするとストーリーは立体的になる。
「もう家帰りたい」と思っている人物がいるとする。
場所は会社の飲み会だとしよう。
さっさと切り上げていいのだが、
だらだらいるとしよう。
これはストーリーとして面白くない。
現実には良くあるかも知れないが、
ストーリーとしてつまらない。
だらだらしてるからだね。
これを「どうしても家に帰りたい」に変更しよう。
理由は何でも良い。
「それは無理もない」と観客が思えれば何でも良い。
彼女が初めて家に来るから、
猫が死にそう、
家に忘れたかどうか確認したいものがある、
などをとりあえず例としてあげておく。
これは特殊であればあるほどストーリーは面白くなる。
で、動機が面白くなると、障害を強くすれば良い。
つまり、「どうしても帰れない状況になる」とよい。
上司のパワハラがある、
ここでしか話せない秘密の暴露が行われる、
実は好きでしたと告白がある、
なんとか電車に乗ったら人身事故で止まる、
痴漢に間違われる、
そこで猛烈な便意に襲われる、
などなどである。
勿論障害はエスカレートするべきで、
どんどん不可能になっていくことと、
どうしても家に帰りたいことの対決になるわけだ。
コンフリクトとは状況ではなく、
対決だと考えると分かりやすい。
コンフリクトを葛藤と訳すのは誤訳だ。
コンフリクトは対決だ。
具体的に対決し、それを乗り越える(かわす、なども含む)
ことがストーリーである。
ということで、
動機が強ければ強いほど、
障害が強ければ強いほど、
その対決が面白くなる。
今は亡き「PRIDE」の煽りVは、
「この試合の動機」を非常にうまく作り込んでいた。
僕が泣いたのは、
美濃輪が何故超人を目指したのかのやつと、
ヒョードルノゲイラの頂上決戦のときだった。
桜庭関係も熱かったなあ。
どうしてもしたい。
これが面白ければ、
物語は半分勝ったようなもの。
逆にいうと、ここがつまらないものは、
いつまでたっても感情移入出来ないし、
起伏のないものになるだろう。
全編通して「どうしても○○したい」を貫いても良いし、
途中で変更しても良い(ターニングポイント)。
首尾一貫して矛盾や破綻がなければ、
それは一連の時系列になる。
途中で変更した場合、
前の○○に新しい○○が勝てないと、
「つまらなくなった」となるので注意な。
(もちろんすぐに面白くならなくてもよくて、
一拍あって面白くなってもよい。
だだ下がりになるのはよろしくない)
で、
たとえばその「どうしても家に帰りたい」を達成したとき、
そのストーリーに何の意味があったのか?
「会社の付き合いなんて意味がない」だろうか?
「外より家がいい」なのか?
そのへんはストーリー全体からあぶり出されるだろう。
それがテーマであることは、
今までここを読んできた人には理解できるはずだ。
つまり、
動機と障害と乗り越えから、テーマは発生するということで、
逆にテーマは、
動機と障害と乗り越え方をコントロールすることで、
コントロールできるということだ。
うーん、「やっぱり家が一番」なんてテーマはつまらんな、
と考えたとき、
どんなテーマに落ちるのなら、
この「どうしても家に帰りたい」というストーリーは良くなるのだろう、
どんな動機に変更するならそのテーマに落とせるだろう、
どんな障害にすればその逆を作れるだろう、
どんな乗り越え方にすればそのテーマに落ちるだろう、
などと考えて、
具体を変更していくわけだ。
ということで、
これを面白く変更できなければそれでおしまいで、
プロットのメモに残しておき、
「シチュエーションは面白そうだが、
テーマの落ち方がイマイチ」
などと批評を書いてネタ帳の肥やしにしておく。
もし面白く変更するアイデアが浮かべば、
プロットを起こし直すと、
何かになるかも知れない。
当然、
眠ったままのアイデアのプロットを、
「どうしても○○したい」と、
動機を強く面白くすることで、
そのストーリーは俄然面白く立ち上がる可能性がある。
一番つまらないのはだらだらやってるストーリーで、
そこには「もう早く家帰りたいなあ」ぐらいの、
普通の思いしかないからつまらないのだ。
ストーリーは、普通の日常から外れた、
「特別な一日(または一連の何か)」だ。
普通の思いではない時のことをいう。
2018年10月21日
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