2018年10月22日

終わらない物語2

パターンを収集してみる。


正体のつながり: ABは実は同一人物
(転生、記憶喪失、二つの顔を使い分けた、別の名前など)

数の分裂: 彼には四天王がいて…
(12使徒、8将軍、3王、などなど)

正統後継者争い: どちらが真の○○か

真逆の人物、組織: 後継者争いの裏になることも
それぞれが「数の分裂」をともなうことも

収束: Aの物語とBの物語は統合され、以下Cのラインに
(結婚、合併、併合、フュージョンなど)
「正体のつながり」によって数が減ることも

スピンオフ: 主役ではなかったB主人公の新しい話

アナザーストーリー: 主人公Aの別の話
(シリーズ、後日譚、前日譚)

新ライン: A物語のaとB物語のbが、Cの物語の主役に

パラレルワールド: 似たような設定だが、これはパラレルワールドだ
(たいてい作者がリセットするときに使う。
元の世界はたいてい続かないが、元のやつの続きを見たいんだよなあ、
とみんな思っていることが多い)

世代を変える: もうひとつのリセット方法

ロードムービー: ○段階のことをするために、○箇所へ行く必要がある
(四天王とかと併用されることが多い)



これらは、
マーベルでも使われるし、
宗教的物語でも使われるし、
科学的な言説でも使われる。

つまりは、
人はこうして、ストーリーを増やしていきがち、
ということが分かるかと思う。

エントロピーは増える。
つまり放っておくとカオスになる。

こうなりがちな誘惑に耐えて、
きちんとオチをつけるのは、
勇気がいるし、力がいるし、腕力もいる。


たとえばもう「はじめの一歩」は、
当初期待された結末
(伊達の後を継ぎ、リカルドに挑戦して、
最後には宮田と決着をつけ、千堂や間柴とも再戦、
久美ちゃんといい感じになる)
へ向かっていないし、収束しようがない。
継ぎ足して継ぎ足して、訳が分からなくなっている。
これを戻すには、
「宮田との試合が流れなかった世界線」へ行くしかなくて、
「再び試合が組まれることに」でいつでも戻れるようにはなっているが、
どうだろうね。

これで板垣スピンオフ、木村青木スピンオフ、鷹村スピンオフ、
なんてやり始めると(実質やってるが)、
終わりのない物語になるだろう。


僕は、
終わりのない物語は、人類特有の機構のような、
生得的機能ではないかと考えている。
言語や理解の機構上、避けられない脳の機能のようなものだと。
(人工知能や脳科学の研究がそこまで進めば明らかになるだろうが、
物語とは脳のどういう機構によるものなのか、
なんて研究はまだ全然されてないだろうね。
なのでここに予言しておく)


このカオス(水は低きに流れる)に逆らい、
きちんと完結させて意味を定着させることこそ、
創作であると考えている。

終わりのない物語を書くことは、
だから誰でもできることと考える。

オチのない話をだらだらすることは、
女子高生にもおばちゃんにもできることだし。
posted by おおおかとしひこ at 11:21| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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