つい最近エドガーケイシーについて調べていた。
実話だけど、非常に物語的で、
しかも出オチの物語的だなあと思った。
エドガーケイシーは、喉の病気で声が出ない人だった。
それが催眠治療中、突然別の人格が現れ、
普段声が出ないにも関わらずしゃべりだして、
喉の治療法を告げたという。
その「お告げ」の通りに治療すると、
なんと喉が治り、しゃべれるようになったらしい。
以後、彼は催眠状態になるたびに、
予言を言い始めることになる。
「眠れる預言者」の誕生だ。
この誕生エピソードがドラマチックで、
しかしこれは出オチなのだ。
以後、人の治療法に関する予言は当たったとされるが、
世界終末論などの大きな預言はひとつも当たらなかったらしい。
しかも本人が有名になったのは死後で、
彼を紹介した本が売れてかららしい。
このあたり、登場エピソードも、
物語的に脚色されている可能性がある。
しかし残念ながら、
登場エピソードは印象的に作れても、
その後のストーリーまでは、
出オチ以上のものを作れなかったようだ。
何か有名な事件を一つ二つ当てていれば、
出オチにならなかったのに。
あるいは、
誰か有名人の病気の治療法を予言して、
治っていれば、「眠れるヒーラー」として、
物語を作れたかもしれない。
もしあなたがエドガーケイシーの物語のライターだったら、
そういうものを用意するべきだろうね。
出オチとは、登場エピソード以上のテンションが、
以後のストーリーで作れないことを言う。
事実はしょうがないが、
物語では、
登場エピソード以上に面白いことが、
以後連発することが期待されている。
期待の新星は、
センセーショナルな登場以上のエピソードを、
自身の活躍で示さなければいけない。
前振りは回収せよ、ということである。
エドガーケイシーは、
預言者になったエピソードもキャラが立っているし、
その後のソファーで催眠状態の時にしか別人格に会えない「眠れる預言者」
というのもキャラが立っている。
しかし、それだけなのがもったいない。
出オチのリアルな例だ。
まあ現実にそれを求めてはいけないが、
フィクションには、
いくらでも求めていいと思う。
出オチにしかならないキャラなんて、
ストーリーには不要だ。
2018年10月24日
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