2018年10月24日

登場のエピソードが出オチになる例

つい最近エドガーケイシーについて調べていた。
実話だけど、非常に物語的で、
しかも出オチの物語的だなあと思った。


エドガーケイシーは、喉の病気で声が出ない人だった。
それが催眠治療中、突然別の人格が現れ、
普段声が出ないにも関わらずしゃべりだして、
喉の治療法を告げたという。

その「お告げ」の通りに治療すると、
なんと喉が治り、しゃべれるようになったらしい。

以後、彼は催眠状態になるたびに、
予言を言い始めることになる。
「眠れる預言者」の誕生だ。


この誕生エピソードがドラマチックで、
しかしこれは出オチなのだ。

以後、人の治療法に関する予言は当たったとされるが、
世界終末論などの大きな預言はひとつも当たらなかったらしい。

しかも本人が有名になったのは死後で、
彼を紹介した本が売れてかららしい。

このあたり、登場エピソードも、
物語的に脚色されている可能性がある。


しかし残念ながら、
登場エピソードは印象的に作れても、
その後のストーリーまでは、
出オチ以上のものを作れなかったようだ。

何か有名な事件を一つ二つ当てていれば、
出オチにならなかったのに。
あるいは、
誰か有名人の病気の治療法を予言して、
治っていれば、「眠れるヒーラー」として、
物語を作れたかもしれない。

もしあなたがエドガーケイシーの物語のライターだったら、
そういうものを用意するべきだろうね。



出オチとは、登場エピソード以上のテンションが、
以後のストーリーで作れないことを言う。

事実はしょうがないが、
物語では、
登場エピソード以上に面白いことが、
以後連発することが期待されている。

期待の新星は、
センセーショナルな登場以上のエピソードを、
自身の活躍で示さなければいけない。

前振りは回収せよ、ということである。


エドガーケイシーは、
預言者になったエピソードもキャラが立っているし、
その後のソファーで催眠状態の時にしか別人格に会えない「眠れる預言者」
というのもキャラが立っている。
しかし、それだけなのがもったいない。
出オチのリアルな例だ。

まあ現実にそれを求めてはいけないが、
フィクションには、
いくらでも求めていいと思う。

出オチにしかならないキャラなんて、
ストーリーには不要だ。
posted by おおおかとしひこ at 11:09| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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