2018年10月27日

こういうシーンがあればいいのに

リライトするときのコツ。


リライトをするときは、
必ずメモを取らず一気読みすること。

小さい直しをつい入れたくなるのだが、
それはどうせ最期の方でずっとやるので、
まずリライトの初期のほうでは、
一気読みした観客の気持ちになることだ。

で、読み終えたら一気にメモを取ると良い。
アットランダムで出てくることだろう。

それは、
「その映画を見た観客の感想そのもの」
になると思う。

良かった、悪かった、などといえ単純なものから、
あそこのあれは良い、
あそこのあれはイマイチ、
結局この話はこういうことなんだな、
なんて事を書くことになる。


で。


もう少しよくするとしたらどうすべきか?
がリライトである。

一気読みをすると、
細かいディテールはおいといて、
全体の構造の方で気になる部分が出てくる。
(逆に、ディテールに気を取られずに、
全体を俯瞰するために、
メモを取らずに一気読みするのだ)

色々直すべき部分を考える。
こういう風にすればどうか、
あそこはいるか、
足りないこういうシーンを足せば良いのでは、などなど。

で、
物足りないこの感情
(リライトをする動機は、
やはりイマイチだったから、
ということが大きい)
をおさめるためには、
「どういう場面があるといいだろう?」
と考える。

あなたは最も贅沢な観客である。
最高の作品を見たい。
そして今、要求する権利がある。
「こういうシーンがあればいいのに」と。

主人公の過去をもっと知りたかった、
泣けるシーンが欲しい、
笑いが欲しい、
もっと幸福からどん底への絶望が欲しい、
もっと活躍場面が欲しい、
カタルシスがもっと欲しい、
などだ。

「これをこうすればいい」「アレが足りない」
ではなく、
「欲しい」で考えるのがコツだ。

「こういうシーンがあれば満足」
を考えだそう。

勿論、
何も考えずに出す欲しいものなので、
全部の都合を考えて出すわけではない。
矛盾や無理があることの方が多い。

しかし一旦はそれを脇に置いて、
観客として欲しいものをどんどん書いていく。

そしてその中から優先順位をつける。

「こういうシーンがあればいいのに」
という幾つかの場面を抽出する。

ここでようやく現在との整合性を考える。
「現在の設定では無理だ」ではない。
「このシーンを作るためには、
どう設定を変更すればいいか?」だ。


これが、「構造に関するリライト」だ。


設定だけで足りない場合、
展開を変えたっていい。
このシーンが必要だとしたら、
この展開を変更してアレとコレを足してからでないと、
そこに繋げないのだとしたら、
そうするべきである。

センタークエスチョンを変えてもいい。
テーマを変えてもいいのだ。

欲しいシーンのためならね。


で、色々こねくり回したとして、
「それがベストか?」
を考えて、
また調整をしていけば良い。


「こういうシーンがあればいいのに」
という方法論は、
欠点の指摘し、微調整リライトで終わるのではなく、
根本を揺るがす構造の変更に関係する。

そして構造を変えない限りよくならない時、
この手法はチャンスである。


苦労して書いた直後にこれをやらないこと。
自分のやったこと可愛さに、
それをやるのは難しい。
なるべく「ちょっと直すだけで最大に効果のある直し方」
を欲してしまう。

一ヶ月とか半年とか、
別の作品を書き終えたあとに、
やるべきだ。


そうすると、
その作品は、構造ごと成長するチャンスを得る。
目先だけのリライトでは不可能な、
地軸を揺るがすリライトが可能だ。

これを散々納得するまで何回もやってから、
細かいセリフや表現を、
名作になるまで直していくのである。

先に部分を直してしまっては、
この根本を直すことは難しくなってしまう。

やるなら初手だ。



さて、
「こういうシーンがあればいいのに」
は、なんだ?
それは、
どれだけ観客として贅沢してきたかで決まる。
「あの映画のあのシーンみたいなやつになるよねこれ」
と思えれば、
そうすればいいのだ。

勿論、予算や尺のことがあとあと出てくる。
しかしそれは無しでまずやろう。
翼を最初に広げてから、
部屋に合わせて翼をたたんでいく。
最初から部屋に合わせた翼を広げていると、
部屋の狭さが翼の上限になってしまう。
posted by おおおかとしひこ at 11:39| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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