2018年11月03日

【薙刀式】創作用の配列はどうあるべきか

創作とは、「今までにないものを作る」ことだ。
これまでのものの再現は、パクリといい、
クリエイターの最も恥になることである。
(模写は練習には最適)

それに適した配列は、
パレットのように、
「パーツが整理されていて、
すぐに組み合わせて混ぜて様子見できるもの」
がいいんじゃないかと考えている。


配列でいうならば、

・使用キー数が少ないこと
・組み合わせルールでそれを組み合わせること

だろうか。
色数の多いクレヨンは、とっさに使いたい色を決められない。
それよりも定番がすぐ出るようにしておいて、
それらを現場で配合するほうが早い。

配合はその場でやるから、
定番は多すぎるとややこしくなる。

その定番セットを何にするか、
とっさにある場所をどこにするかが、
パレットや台所の調味料のようなものだと僕は思う。

工具置き場や手術道具も、
似たようなものかも知れない。


薙刀式のユニークなところは、
清音を、同時押しキーを使うことで、
濁音化、半濁音化、小書き化、拗音化、外来音化、
することではないかと思う。

これは僕の、
配列はパレットであるべき、
という無意識の反映なのかも知れない。


たしかに、
飛鳥や新下駄はいいけれど、
僕にはキーが多過ぎる。
あんなにキー数があるパレットは、
とっさに混ぜるのに使いづらい。

あと新下駄の時に強く感じたけど、
「平均的な文章を打つのに一番効率が良い」
に僕は興味がないらしい。
最大多数の最大幸福はそうかも知れないが、
創作とは過去と同じことをしないことだから。
(勿論、過去に似た部分を最速で打てれば、
新作の部分に時間を使えるかもしれない)


日本語は閉じた言葉だろうか、
開いた言葉だろうか。

仮にこれから日本語は一文字も生まれない、
これまで歴史にあった日本語が全てである、
となったら、
その全文章を最も効率よく打てる配列を作ることは、
数学的に可能かも知れない。

しかしそうでないのはすぐわかる。
絶滅言語を打つ配列ならばそうだろうけど、
日本語は常に生まれ、常に変化をしている。
その変化も、これまでにある統計の範囲内に過ぎないということもあるし、
その法則からはみ出ることをすることもある。

そして、創作とは後者をしようとすることだ。
その時に、武器になる道具を僕はつくっている。


その時の配列は、
基本パーツが精選されていて、
その場で調合して使える奴がいいんじゃないかな。


もちろん、全ての言葉が新しくなく、
これまでの言い回しを組み合わせることのほうが多い。
だから、
新しい部分と、これまでの統計的な部分を、
両方打ちやすくなっている配列が、
最強なのではないかと考えている。

もちろん、
飛鳥や新下駄がその用途に最適な可能性もある。
他の人には使えて、
僕にはキーが多過ぎただけかもしれない。
(創作系の人で、たまに飛鳥や新下駄に言及してるツイートが引っかかる)

合うか合わないかは、人次第だろうなあ。

親指シフトは僕には全然無理だと思ったけど、
これが手放せない人もいるからね。


パレットの形や大きさやレイアウトなんて、
人によって自由であるべきだと思う。
配列もそうなるといいなあと思っている。
そのいくつかの基本形に、薙刀式は入ると考える。
posted by おおおかとしひこ at 10:42| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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