こんだけ配列のことをやってるくせに、
僕は原稿のしょっぱなは手書きで書く。
(ブログやメールはタイピングかフリックだけど)
スピードそのもの(くずし字で書くので多分タイピングより速い)や、
漢直であることから、
脳との直結具合は手書きの方が上だと考えているのだが、
今日色々やってて、
手書きは「文字を飛ばして書ける」ということに気づいた。
「思考が蒸発するまでに書きたい」
というのは、全ての物書きの欲望だろう。
しかし思考というのはどういう形なのか、
我々はよくわかっていない。
静止した物体のようなものなのか、
時間軸で変調する音楽のようなものなのか、
その両方だとしたら、
両者の混合の差を分けるのはなんなのか、
とんと分からない。
とにもかくにも、
我々はその不定形のものを、
シーケンシャルな言語というものに落とし込む。
で、最初のあたりを書いていると、
後半に当たる部分が蒸発して忘れてしまう、
ということが、
とてもよくあるわけだ。
とくに閃きのような、
二度と訪れないものを記録しようとするとき、
言語はなんと遅いものかともどかしい。
で。
今日は原稿を手書きで書いてたんだけど、
蒸発しそうなときどうするかというと、
「今書いてる部分を飛ばして(たとえばーーーーと線を引いて)、
先に書いてしまう」
なんてことを、
ちょいちょいやっているのに気づいた。
あるいは、
「語順を途中で変えてしまい、
書き終えてから語順を手書きニョロ記号で変えてしまっている」
ということにも気づいた。
なるほど、
これはタイピングでは難しい。
どうしてもタイピングだと、
逐次変換していかないといけない。
勿論、
最悪全部ひらがなで打ち、
語順変更や省略記号も打ち、
あとで解読しながら整形する、
というやり方もなくはない。
(議事録をそうしてやってる人もいるよね)
でも、あとで戻ってそこを書き直すのは、
手書きの方が圧倒的に楽な気がした。
なぜなら、
手書きは「まともな日本語になってなくても、
ある程度意味をなす」からだと考えた。
字の大きさや勢いで、
ある程度の「言いたいこと」が理解できる。
ある種の速記記号というか、
体の動いた軌跡みたいになっている部分もある。
勢いのあるときに「、」「。」なんて書き分けられない。
どっちも「.」みたいな点になる。
あるいはペンを置いて考えたときに「.」になってしまっている、
文節間記号もある。
僕が手書き原稿から第一清書稿を起こすときは、
これらの解読や、
日本語として通りのいい言い方に変えることも含める。
なので、単なるコピー打鍵ではなくて、
「オレオリジナル言語」みたいなのを、
「読める日本語に変換する」作業みたいな感じになることもある。
この、中間言語のようなニョロニョロは、
やっぱ手書きなんだよね。
これをタイピングで表現するのは無理だろう。
まともな日本語になってないものを、IMEは変換しづらいし。
無論、
レイアウトフリーであるところ、
消した部分の復活が楽なところ
(ボールペンなので、×をつけるか「イキ」と書き直すかでしかない)
は、手書きの方が圧倒的有利だろうね。
漢直とはいえ、忘れた漢字もあるから、
適当文字で書けるところも手書きのいいところ。
(どうせあとでタイプするときにちゃんと調べる)
これでいうと、
僕の手書き原稿は、
原稿未満の部分を残して、
「あとはタイピングでちゃんとやる」
の状態で完成なのかも知れないなあ。
ということは、
そんなものにタイピングが勝てるわけないかもだ。
IMEもエディタもキーボードも、
そんなものを作るためには設計されてないよね。
思考はランダムアクセスで、
タイピングはシーケンシャルな行為だ。
シーケンシャルだと蒸発するときは、
ランダムアクセスな書き方の、
手書きの方が、
多少失われても復元できる。
デジタルメディアだと消えたら0だけど、
アナログメディアだとちょっとは残ってる、
みたいなことか。
とくに僕の思考は脳内発声を伴わない、
シーケンシャルなデータ構造をしてないものだから、
こういう書き方が合ってるのかもしれない。
とくに複数の人格が頭の中に同居して、
同時にそれぞれの思考をするような、
物語というジャンルでは、
あるシチュエーションで同時に複数のキャラが脳内で思考し始めて、
それを書き留めるのはタイピングじゃ難しい。
カタナ式も薙刀式も、
「物語を書く配列」なんて名乗っているものの、
そんなことには全く未対応だなあ。
手書きだと
「右に書いたセリフはAの、左に書いたセリフはBの、
上に書いたセリフはCの」なんて
二次元レイアウトをしながら時間進行してしまえるが、
タイピングと普通のエディタでは無理だ。
(イラレなどで書けばまた別か。
京極夏彦はイラレで「姑獲鳥の夏」を書いたらしいが)
一方、
「入稿や印刷可能な、通りのいい日本語を書く」
ことにおいてはタイピングのほうが強いだろう。
僕はこんな感じで、
手書きとタイピングを使い分けております。
手書きは主観的に、タイピングで客観的に。
そうやるとバランスがいいみたい。
物書きかつ薙刀式に興味がある人は、
どれくらいいるのか全く不明ですが、
参考までに。
2018年11月04日
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