2018年11月08日

突出したアイデアは叩かれない

突出していないから叩かれて、丸くなってしまうのだ。
出る杭は打たれるが、出過ぎた杭は見上げられる。


突出したアイデアとは、どういう形をしているのだろうか。
僕は、シンプルでわかりやすく、新しく、
新しい効果を世の中にもたらすものだと考えている。

それをすべてもつのは難しい。
シンプルなものはたいてい平凡だ。
新しいだけのものはたいてい難しい構造だ。

それは、新しいものは、
古いものを前提としているからだと思う。

ただそれだけを放り出して、
独立しているのではなく、
古いものとの比較で、よく見えているだけのことだから。


これは、新しいもののときだけでなく、
リライトのときにも発生する。

前の原稿との比較で良く見えているだけで、
初見の人からしたら、
複雑になりすぎててちんぷんかんぷんである、
ということが稀によく起きる。

初見の人は、古いものと新しいものとの比較を見ることはない。
頭では分っているが、なかなか実行できない。
それは、前のやつが無意識の記憶に残ってしまっていて、
無意識に前のとの比較をしてしまい、
「良くなった(ベター)」
と判断してしまうからだ。
比較で良くなっても意味がない。
あらゆる文脈で単に「良い(グッド)」を目指さないといけない。

よりよいものを、
と考えると、
ベターの中のベストを探しがちだ。
袋小路に入るときは、そういうときだ。
「色々考えた中でひとつを採用する」
という方式をとる時、
その罠にはまることを警戒するべきだ。
色々考えたんだから、その中の選択肢がベスト、
と考えてしまう。
それはベストオブベターでしかなく、
単なるグッドかどうかわからない。

ベストという考えかたは、
ほかに比較対象があるときだけ機能する。

ほんとうにいいアイデアとは、
他と比較しなくても、グッドであるように、
なっているべきだと思う。

で、グッドの条件を考えると、
シンプルでわかりやすくて、
説明の必要がないか、
ちょっとした説明を受けるとなんとも面白さが出てくる、
というようなものでなくてはならないと考える。

それでいて、過去の文脈から考えると、
現状を改良したものになっているとよいだろう。


ほんとうのアイデアは、
独立している。過去の文脈に依存しないものである。
それは、新しいことと関係している。
今までの文脈から出ないことが、
ほんとうの新しさだ。

だから本当に新しいものが出てきたとき、
人は戸惑う。
評価する基準をもたないからね。
それを評論できる、言葉がないからね。

だから、
ほんとうに新しいものを作ったとき、
その価値を説明する、
新しい言葉ごと発明したほうがいいかもしれない、
と最近は思うようになった。

どういうところが新しいのか、
何がシンプルなのか。
見た目はシンプルなのに、
まったく新しいことが最高だ。
ついでに、「これに触ってみたい」
(解析したい、分解したい、組み立ててみたい)
と思わせるアイデアが、一番いいんじゃないか、
と思っている。

ドラマ風魔での最大のアイデアは、
「部活対決の裏で毎回バトルする」
というコンセプトではないかと思われる。
これは沢山のバリエーションを生んだし、
色々触ってみたくなるからね。
違う部活の、違う裏側で、違う忍びたちが、
闘っているかもしれないと想像すると、
ぞくぞくするよね。
アイデアが汎用性をこのように持つ時、
そのシンプルなアイデアは、
素晴らしいアイデアだと僕は考えている。


薙刀式は、そういう意味で色々新しくて、
まだシンプルにうまく説明できないので、
上手く説明する方法を今考えている状態だったりする。

ちなみに「てんぐ探偵」のアイデア性は、
「心の闇を退治するのは、本人の光」
ということかもしれないね。
それを延々バリエーションを変えて、書いているのかもしれないなあ。


突出したアイデアとは、
他との比較では出てこない。
「もうそこにあるのが当然」
という存在感を持っているような気がする。
距離感の測れない人々が、
他と比較して考えたがるだけで、
アイデア自体は、そこに泰然自若として、
存在するだけで良いと思う。

そういうものを産もう。
アイデアが出たら、
それを磨いてベターを目指すのではなく、
オリジナルなグッドを目指すだけでよい。

そのためには何が必要で何が無駄かを、
考えて行くのだ。
posted by おおおかとしひこ at 19:32| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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