突出していないから叩かれて、丸くなってしまうのだ。
出る杭は打たれるが、出過ぎた杭は見上げられる。
突出したアイデアとは、どういう形をしているのだろうか。
僕は、シンプルでわかりやすく、新しく、
新しい効果を世の中にもたらすものだと考えている。
それをすべてもつのは難しい。
シンプルなものはたいてい平凡だ。
新しいだけのものはたいてい難しい構造だ。
それは、新しいものは、
古いものを前提としているからだと思う。
ただそれだけを放り出して、
独立しているのではなく、
古いものとの比較で、よく見えているだけのことだから。
これは、新しいもののときだけでなく、
リライトのときにも発生する。
前の原稿との比較で良く見えているだけで、
初見の人からしたら、
複雑になりすぎててちんぷんかんぷんである、
ということが稀によく起きる。
初見の人は、古いものと新しいものとの比較を見ることはない。
頭では分っているが、なかなか実行できない。
それは、前のやつが無意識の記憶に残ってしまっていて、
無意識に前のとの比較をしてしまい、
「良くなった(ベター)」
と判断してしまうからだ。
比較で良くなっても意味がない。
あらゆる文脈で単に「良い(グッド)」を目指さないといけない。
よりよいものを、
と考えると、
ベターの中のベストを探しがちだ。
袋小路に入るときは、そういうときだ。
「色々考えた中でひとつを採用する」
という方式をとる時、
その罠にはまることを警戒するべきだ。
色々考えたんだから、その中の選択肢がベスト、
と考えてしまう。
それはベストオブベターでしかなく、
単なるグッドかどうかわからない。
ベストという考えかたは、
ほかに比較対象があるときだけ機能する。
ほんとうにいいアイデアとは、
他と比較しなくても、グッドであるように、
なっているべきだと思う。
で、グッドの条件を考えると、
シンプルでわかりやすくて、
説明の必要がないか、
ちょっとした説明を受けるとなんとも面白さが出てくる、
というようなものでなくてはならないと考える。
それでいて、過去の文脈から考えると、
現状を改良したものになっているとよいだろう。
ほんとうのアイデアは、
独立している。過去の文脈に依存しないものである。
それは、新しいことと関係している。
今までの文脈から出ないことが、
ほんとうの新しさだ。
だから本当に新しいものが出てきたとき、
人は戸惑う。
評価する基準をもたないからね。
それを評論できる、言葉がないからね。
だから、
ほんとうに新しいものを作ったとき、
その価値を説明する、
新しい言葉ごと発明したほうがいいかもしれない、
と最近は思うようになった。
どういうところが新しいのか、
何がシンプルなのか。
見た目はシンプルなのに、
まったく新しいことが最高だ。
ついでに、「これに触ってみたい」
(解析したい、分解したい、組み立ててみたい)
と思わせるアイデアが、一番いいんじゃないか、
と思っている。
ドラマ風魔での最大のアイデアは、
「部活対決の裏で毎回バトルする」
というコンセプトではないかと思われる。
これは沢山のバリエーションを生んだし、
色々触ってみたくなるからね。
違う部活の、違う裏側で、違う忍びたちが、
闘っているかもしれないと想像すると、
ぞくぞくするよね。
アイデアが汎用性をこのように持つ時、
そのシンプルなアイデアは、
素晴らしいアイデアだと僕は考えている。
薙刀式は、そういう意味で色々新しくて、
まだシンプルにうまく説明できないので、
上手く説明する方法を今考えている状態だったりする。
ちなみに「てんぐ探偵」のアイデア性は、
「心の闇を退治するのは、本人の光」
ということかもしれないね。
それを延々バリエーションを変えて、書いているのかもしれないなあ。
突出したアイデアとは、
他との比較では出てこない。
「もうそこにあるのが当然」
という存在感を持っているような気がする。
距離感の測れない人々が、
他と比較して考えたがるだけで、
アイデア自体は、そこに泰然自若として、
存在するだけで良いと思う。
そういうものを産もう。
アイデアが出たら、
それを磨いてベターを目指すのではなく、
オリジナルなグッドを目指すだけでよい。
そのためには何が必要で何が無駄かを、
考えて行くのだ。
2018年11月08日
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