「踊る大捜査線」の名台詞は、
この考え方を広まらせたことだ。
この考え方は、日本の現場サイドが、
会議室の小田原評定にイライラしていることへの、
タンカだった。
で、ちょっと思ったのが、
これって原作ナウシカのラストと同じなんじゃないかってこと。
以下原作ナウシカのネタバレに言及します。
原作ナウシカのラストは、
映画版とは全然違う。
王蟲と和解し、腐海とともに地球を浄化しよう、
と希望のある映画版ラストは、
原作ナウシカ第一章のラストに過ぎない。
原作ナウシカは、その後ずっと続く。
粘菌の国など、他の森の民との物語が続く。
で、ラストに、
我々が人類だと思っていたのは、
核戦争後に遺伝子操作された人造人間だと分かる。
腐海で生きていけるように改造された人類で、
腐海浄化後、ほんとうの人類が目覚めるまでの、
つなぎの人間だったのだと。
王蟲や蟲たちも、腐海浄化のための人造生物であったのだと。
(ちなみに今生きている、
ナウシカふくむ人造人間や蟲たちは、浄化された世界では生きられない)
巨大な図書館(人類の文化遺産がすべて眠っている)と、
眠る人類を、
ナウシカが焼き払う、
というのが衝撃的なラストだ。
それは親殺しであるとか、
自然や進化に期待するとか、
いろいろな文脈で読まれているけど、
今回ふと思ったのは、
「踊る大捜査線」の考えにふと至ったからだ。
日本の現場は苛々している。
会議室は決断が遅い。
現場が行きたくても、会議室の承認が遅いため、
いくつものチャンスを逃している。
チャンスの波は何回もこない。
日本の現場は、会議室の所為で実質チャンスを何回も逃し、
波に乗り遅れ、時代から遅れ続けている。
その苛々を、殺人現場という緊急現場に持ち込んだのが、
「踊る大捜査線」の名台詞、
「事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだ!」だ。
これは多くの現場で、
会議室にイライラしている人たちに、
ストレートに刺さった。
「踊る大捜査線」は、刑事ものの形式(ガワ)を借りた、
会社もの(中身)であったわけだ。
で、ナウシカだ。
宮崎は現場の人である。
会議室の人が嫌いだろう。
会議室とは、映画の製作委員会などだろう。
物販のことや倫理表現のチェックや、
タイアップのことなど、
つまりは、現場からしたら、
「せっかくよくなっているものに、
ブレーキをかけることしかしない人々」
である。
そのブレーキさえなければ、
何倍もよくなるのに。
現場から見た会議室はこうだ。
僕は会議室にいたことがないから、
会議室でその現場の空気がどう伝わっているか、
よくわからない。
(現場ではそうかもしれないが、
会議室ではそう決定していない、という空気はよく感じる)
少なくとも、
現場の苦しみや喜びが何一つ伝わっていないことは、
会議室の反応を見ていればわかる。
会議室で思いもよらなかったことを、現場でつくれそうなとき、会議室でブレーキがかかって、
全部台無しになる場面は、
僕はいくつも見てきた。
日本の会議室は、現場から遠すぎる。
そもそもスーツ着てる意味がわからない。
スーツは現場じゃない。
ものづくりというのは泥だらけの格闘であり、
そこから蓮の花を咲かせることだ。
右のものを左に動かすことではなく、
泥からまったく予想もつかない花へ昇華することだ。
空調の効いた温室のような無菌室で、
あれこれと比較検討することではない。
というような、
現場から見た会議室への不信が、
「眠れる弱き人類を焼き払う」
という行為に出させたのではないか、
と昨日ふと思ったので、
これを書いた次第。
会議室の擁護を、僕は出来ない。
僕は現場の人だからだ。
ただ、ぶくぶく太った図書館の坊ちゃんのような描き方を見る限り、
「それがなんになるのだ」
とナウシカや我々に思わせるように誘導されていることは確実だ。
会議は必要なのだろうか。
現場だけで出来ないのか。
お金やプロジェクトは、会議室からしか生まれないのか。
現場だけで出来ないのか。
そのへんが良く分らない。
事務方と現場の解離がどうして生まれていくのか、
僕にはわからないんだよね。
税金とか法律が現場から解離しているから、
その専門の人が経理をやり、
経理が経営計画を立て、
経営計画のために会議室があり、
そこでの決定が現場より優先されるから、
現場との解離が進むんだろう、
と僕は予想している。
つまり僕が経営者になれば、
その謎も解けるとは思っている。
いや、僕は一生現場にいたいんだ。
図書館にこもらず、
ナウシカのように風の中で生きていたいんだ。
宮崎は左翼だから、そういったアナーキストの面もあるのだろう。
先日の現場で、
土砂降りで太陽がなかなか出なかった。
結局一日二回しか出なかった。
その一回を、衣装決定の会議室待ちで失った。
その必要、ある?
僕にはわからない。
その会議室に7人はいたかな。
7人の意志がひとつになるまで待つのは、
太陽が出るまで待つことより価値がある事だろうか。
僕にはわからない。
ナウシカが会議室を焼き払う気持ちが、
理解できたよ。
現場の一挙一投足が、
会議室の背後にいるたくさんの団体の利益不利益に影響する。
だから会議室はそれを調整する。
その決定を待つ間、現場は止まる。
これが民主主義のベストの方法だろうか。
もっといい方法はないものか。
日本の会社システムは、
曲がり角にきたまま、
現状を変えようとしないで、
移民(アウトソーシング)に丸投げしようとしている。
僕の本音は、哲人政治の及ぶ範囲で、
戦いに出かけたい。
(いまこういう中身を、
目新しいガワでコーティングすると、
面白い物語が書けると思うよ。
たとえば人工知能と移民の話とか)
2018年11月08日
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