2018年11月10日

平易な言葉を使うこと

その人が文章を書きなれているかどうか判断する、
簡単な方法がある。

難しい言葉をなるべく使っていないかどうかだ。


内容がそもそも難しいなら、
その言葉を使わざるを得ないかも知れないが、
それでも初見の人に分かるように、
うまく説明してから使うならば問題ないかも知れない。
あるいは、
身近な言葉でたとえてしまい、
以後ずっとそっちを使うというテクニックもある。


文章を書きなれていない人は、
わざと難しく書こうとする。

カッコつけたい中二病もあるし、
自分のIQを高く見られたいというのもあるし、
逆に、
自分が薄っぺらい内容だと知られたくない、
防衛でやることもある。

おそらくほとんどの人が書く、
最初の物語は、
硬くて、わざと難しい言葉を多用した、
入り組んでいるように見えるが、
本質だけ見たらぺらぺらのものだ。

それはまだ、硬いのだ。

手足がカチコチの運動選手だ。

もっと慣れた人は、
日常動作のようにやる。

日常で使う言葉だけで、
上手に描写し、
上手に笑わせ、
上手に泣かせる。

それは、人の人生は日常にあり、
硬くて自己防衛する難しさの中にはないからだ。

あなたがハッタリを利かし続けるアフィリエイトブロガーならば、
わざと難しい言葉を使う、
詐欺師や詐欺弁護士や詐欺技術者や詐欺営業ならば、
難しさの方が日常かも知れないが、
そんな人は過半数ではない。

ほんとうの人生は、
もっと簡単なことばで生きている。

哲学書を難しい言葉で訳すのは、
誰にでも出来る。

ドイツ語の日常の言葉で書かれた書を、
中二専門用語で訳すのは、
慣れてない人でもおそらく出来る。

それを、日常の日本語に訳せるかが、
書き手の腕だと僕は思う。

般若心経の超現代語訳は素晴らしい。
言葉を使い慣れた人の仕事だと思った。
「超スゲェ楽になれる方法」のやつだ。


新しいアイデア、
イコンになるアイデアは、
難しい言葉を使わない。

日常の平易な言葉で表せる。


あなたが難しい言葉を使って、
なにかを表現したと感じているのは、
まだまだヨチヨチ歩きの、
防衛本能にすぎないのだ。

転び慣れて、立ち上がり慣れれば、
そんな硬い言葉じゃ伝わらないとわかってくるはずだ。
もっとたくさん書いて、
転んで、立ち直る経験を積むことだ。

なにせ手書きなら、ほとんどタダで出来る。
日本はいい国だ。何百円で書く道具が揃う。
PCに何万も払う価値はない。どうせ糞qwertyだし。

何枚も、何百枚も、
何本も、何百本も、
手書きで紙に書こう。

書くことが日常にならないと、
平易な言葉遣いで、
伝わる言葉で、
伝わる内容を表現することに、
慣れることができない。

手書きで書くと文章が洗練される。
書くことが日常動作になるからだ。

成功の裏にはたくさんの失敗がある。
すっと伝わる文章は、
読んでて楽しい文章は、
硬さがほぐれるまでの鍛錬の時間があったのだ。

その失敗と立ち直りを、
若いうちにたくさんやっておきなさい。



たとえば。
ツイッターでたまたま、
「八咫烏と舞う小夜」なるタイトルを見かけた。
「八咫烏と舞う夜」だとイマイチだと感じて、
わざわざ「小夜」にしたのだろう。
その余計な小細工が、防衛本能で、硬く見える。
「烏と舞う夜」「烏と踊る」「踊る八咫烏」くらいに削ぎ落とした方が、
いいタイトルに見えるというものだ。
(内容を知らないのでベストのタイトルかまでは判断できない。
また、「さよ」なる人物名かも知れない。
にしても分かりにくいが)


いい文章はリズムがいい。
音のリズムがいい。
概念のリズムがいい。
使う概念が少なく、組み合わせ構造がシンプルであることが多い。
それだけ、本質的な言葉を使っている。

書き慣れていない文章は、
周辺の言葉でごまかしているから、
中身がないのだ。

真ん中の言葉は、そもそも音節数が少ない。
大事なことを伝えるのは、音節数の少ない言葉だ。
posted by おおおかとしひこ at 10:06| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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