情熱を持って配列のことをやっているように、
他の人からは見えているかも知れない。
でもぼくはタイピングが大嫌いなのだ。
こんなに嫌いなものを、
少しでもましにするために色々考えているだけだ。
つまりぼくの原動力は、
「おまえら(デジタル文字入力を作った人)あほか」
である。
ぼくとタイピングの出会いは、
遡ること35年くらい前、PC-8001だ。
英語とJISカナを、
サイトメソッド独自運指で打っていた。
その頃は半角カナしか使えなかったから、
日本語で文章を書くことには使えなかった。
大学の研究室では、人工知能研なので、
UNIXを無理やり使わされた。
emacsでunnでTeXでqwertyローマ字だ。
人生初のワープロといってよい。
漢字変換された美しいフォントで、
ぼくは趣味の脚本を何本も書いた。
しかし手書きで書く方が全然速くて、
タイピングの練習方法があるということすら知らなかった。
独自運指のサイトメソッドでしかなかった。
プロになった頃(1997)はWinの普及期だったが、
映像業界なので会社にはMacしかなかった。
Simpletext、ことえり、qwertyローマ字の、
サイトメソッド独自運指。
CM業界なので、大量の文章入力は必要ない。
ブラインドタッチの必要性もない。
業務にメール文化が入ってきても、そんなに必要性はなかった。
タイピングをまじちゃんとしないと、
と思ったのは、
プロとして映画脚本を書くようになってからだ。
今でもぼくは第一稿は手書きで書く。
それはタイピングを信用していないからだ。
タイピングはあくまで清書用、校正用の位置付けだ。
モバイルマシンを持たなかったのは、
ノートPCが紙の束100枚より重かったからだ。
ぼくの仕事場は主にスタバだ。
ノマドが出るずっと前から僕は喫茶店作家だった。
タバコを吸わないのでスタバにいたら、
いつのまにか流行ってしまった。
小説を書き始めた。
やっぱり手書きで、会社のWinとwordで清書した。
あまりにも分量が多くてばれそうなときは、
ネットカフェで延々書いてた。
タブレットが出て、
ようやく自分のマシンを持つことに興味が出てきた。
それでもずっとqwertyで、独自運指サイトメソッドだ。
その頃は、
6000字を3時間かかって写していた。
(今なら1時間だな。薙刀式万歳!)
何本も何本も書いたので、
「そろそろブラインドタッチなるものを覚えた方が、
効率が良いのではないか?」
と思った。
これがこの道の入り口だ。
qwertyローマ字のブラインドタッチで、
最初に引っかかったのはAの小指だ。
ほんとにみんなこんなのやってんの?
無理でしょ、と感じた。
これが日本語を書くのに最も合理的な方法とは思えない。
おまえらあほか。
少なくとも俺の方がまともなやり方がつくれるわ。
そう思って色々調べ始めた。
そうして出来たのが、ローマ字配列カタナ式だ。
左手子音、右手母音のアイデアは独自に思いついたけど、
あとで調べたら行段系としてポピュラーだったことを知る。
配列中央部に十字カーソル、エンターBS、センターシフト、
と操作系を集めているのは、他に見たことがない。
二重母音をアルペジオで打てるように工夫したが、
三段でそれを配置してるのもカタナ式だけっぽい。
僕はタイピングが嫌いだ。
qwertyローマ字は大嫌いだ。
言葉の原初の音、かつ最高頻出の母音Aを、なぜ最弱の左小指で打つのか?
(その後の調べで僕の最弱は左薬指とわかるが)
なぜBSやエンターが右小指なのか?
TY無理、ホームキーのFJ無意味、あと色々…
これを強要される意味がわからない。
これが最も合理的な運指法であるならば、
すいませんでしたと謝る。
しかしカタナ式の方が圧倒的に合理的だ。
おまえらあほか。
僕の動機はたぶんそれだ。
僕はペンと紙が文字を書くのに最高だと思っていて、
それで済むならその世界に生きるだろう。
しかしデジタルで書くことを強要されていて、
デジタルで書くことでqwertyローマ字のブラインドタッチが、
全くベストと思えない。
手書きの方が1万倍いいと思っていて、
つまりqwertyは1万倍の苦痛を僕に与える。
僕はタイピングが大嫌いなのだ。
カタナ式で快調に飛ばしていたころ、
ローマ字方式の打鍵数の多さに指が痛くなり、
カナ配列をやってみたくなった。
試しにやってみたら、
脳内発声なしで書けることにきづいて感動した。
僕は手書きは脳内発声なしの漢直だ。
ローマ字は脳内発声ありで漢字変換を経る。
カナ配列は脳内発声なしで漢字変換を経る。
カナ配列に行かない手はない。
で、研究してるうちに、
独自配列のアイデアを思いつき現在に至る。
僕はタイピングが嫌いだ。
左手と右手の非対称性がずっと嫌だし、
キーのピッチが大きすぎる。
細かい動きができる人差し指用のキーは、
面積1/4くらいのキーを細かくたくさん敷き詰めたい。
小指担当のキーは、面積半分でいいと思う。
大量生産上の理由でキーが全部同じになっているのだとしたら、
おまえらあほか。
文字を書く行為を舐めている。
標準キー荷重が55gなのもあほかと思う。
30が標準でいいじゃないか。
HB鉛筆の筆圧は柔らかくてOKだった。
現在35gにたどり着いたけれど、
万年筆の0gが理想だ。
押すのは0で、戻るのはすっと戻るようなキースイッチはないのか?
(フリックはブラインドタッチできないのがね)
配列だけでできることは、
とりあえず大体やり尽くしたかもだ。
今は物理の改良をしたい。
自分でできること、
キーの高さを全部変えること(OEMキーを2セット購入して、
微調整しながら高さを山形にしている)、
親指キーを凹型に削り出すこと(ヒノキ)、
などは大体出来たので、
次やることは、
自作キーボードかな?
左に傾いているキーはおかしいと思うし、
1/4と1/2ズレの混在もおかしいと思う。
(最上段を利用しようと思ってブラインドタッチを頑張ったけど、
ここがまた1/2ズレってどういうこと?
1/4ズレが一箇所しかなくて、またイライラする)
僕はタイピングが嫌いだ。
紙と手書きならこんなに「おまえらあほか」と思わない。
「俺の方がましなものをつくれる」と思わない。
タイプウェルを打って、
腱鞘炎を悪化させるループは意味不明だ。
全然楽しくない。
それでも、
おまえらあほか、こっちのほうがましやんか、
という僕の提案は、
どこかにいる、おまえらあほかと思っている人の、
何かの役にたつかもしれない。
今後、タイピングは衰退していくだろう。
qwertyローマ字が標準だからね。
こんな非合理が衰退するのも当然で、
代替が親指シフト程度しかなかったからね。
もっと効率のいい、
新下駄配列や飛鳥配列や月配列や、
最近のたくさんの配列にたどり着ければ、
タイピングは衰退せずに、
これが合理的だと皆が思える社会が来ると思う。
(ひとつの提案は、リアルフォースタイピングチャンピオンシップに、
他の配列が採用になることで、
しかしまだ時期尚早かもしれない)
薙刀式がそのひとつの選択肢に入るのは当然だよ、と僕は考えている。
合理はたくさんあるからだ。
僕はタイピングが嫌いだ。
文章を書くのが好きなだけだ。
薙刀式よりいい配列があれば鞍替えするし、
NiZよりいいキーボードがあればそれにする。
自作キーボードの流れは、
いずれ配列の考察や、同じキーを使うことから脱却を始めると思う。
僕が気になってるのがminiAxeというミニマルなやつで、
ビルドを見たら知らない言葉が多すぎた。
ハードのこと、ファームウェアプログラムのことを、
0からやらなくてはいけなくて、
ちょっと手が出なさそう。
僕はタイピングが嫌いだ。
ただ楽に速く大量に、良質な文章を書きたいだけなのに、
なんでこんなに苦労しなきゃいけないんだ。
ロシア語勉強するほうが楽なんじゃないか。
薙刀式で、1500字/10分くらいのペースで書いてる時はとても快感だ。
ようやくここまで現実が追いついたか、と思える。
タイピングは消えるべきだ。
字が自由に書けるまでこんなに苦労するのは、
読み書き算盤のジャンルの中で、最低だと思う。
2018年11月10日
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