2018年11月10日

締め切りがないと書けないのか?

だったら締め切りを設定すればいい。
来週までにプロット、
月末までに第一稿、
年内に完成な。


仕事とは違って、
芸術性のある作品は、締め切りがない。

芸術性というのは難しく考えちゃいけない。
「誰かの依頼によって頼まれたもの」ではなくて、
「自発的にこれがいいと思ったから作ったもの」が、
芸術性の定義だと僕は思う。

ついでにいうと、
他人がその価値がわからないのはよい芸術ではなく、
みんながその価値を分かるのがいい芸術だと思う。

解説がなくても分かるのがベストだけど、
みんなが分かるために解説があり、
それによってゴールにたどり着けるのなら、
解説はじゃんじゃんしたほうがいい。


で。

そういうものって、
いつ降って来るか分からない。
生涯に何本書けるかわかったものでもない。

そして技術というのは、
毎日書いてないと落ちて行く。

じゃあさ、
毎日書けばいいのさ。

それが出来ないのは、人間が怠惰に出来ているからだ。
締め切りがないと書けないよ、という人はとても多い。
じゃ年内目標でなんかやれや。

もちろん、作業見積もりが大事だから、
年内にやりきれないものを年内目標にしたってしょうがない。
来年三月までかかるなら、それを締め切りにしなさい。


一番良くないのは、
「今募集してるからなんか書いて」だと思う。

アンタのタイミングに合わせて、
歴史に残る発明ができるわけないじゃんか。


僕は、仕事(締め切りがあり、誰かの依頼によるもの)と、
作品(素晴らしい思いつきによる自主的な芸術)は、
分けて考えてもいいと思っている。

仕事は仕事。作品は作品。
もちろん、作品が仕事に、仕事が作品になるのはとてもいいこと。
しかしそれらが噛み合わないときもある。

それでも、作品はコツコツつくるべきだ。
誰にも評価されなくてもだ。

あなたが価値があると思い、
みんながそれを理解したら、
世界が良くなると思ったら、
その芸術はつくりなさい。


僕はコツコツ「てんぐ探偵」を書いている。
仕事ではない、純粋に僕の作品だ。
小説は初めてで、
最初の方は下手くそで、いますぐ書き直したいけれど、
(最近は初期に比べれば随分ましになってきた)
まずは完結108話まで書き下ろしたいのだ。

誰に頼まれたわけでもないけれど、
こういうことはやるべきだ。
僕は仕事が暇になった隙をついてやっていて、
最近暇が多いから(笑)、
成立してることではあるけれど。


やりたいとおもったらやれ。
やりたいのにやる気が起きないなら、
締め切りを作って動いてみろ。

幸い、日本には季節の節目がある。
次の節目までに何をするか、考えればいい。
あなたのアイデアノートは白紙か?
手塚治虫は何十冊もアイデアだけを貯めていて、
いつも使う機会を狙っていたそうだ。


手を動かさない奴は作家じゃなくて、
ただの評論家だ。
とにかくやり続けてればバカでも上手くなる。
これは世界の真実で、
上手い人とは、上手くなるまでやった人のことだ。
そこに膨大な時間がかかっている人のことだ。

イチローが何回素振りをしたのだろう。
手塚治虫は何回線を書いたのだろう。
それぐらいやってなお下手なら、ようやく諦めなさい。
まだその1/10もやってないなら、
年内にひとつ、そこまでやってみなさいな。

ちなみに僕の年内目標は、
てんぐ探偵の第6章までのリライトを終えて、
発表可能状態にすることだ。
これが出来れば来年三月まで毎週更新が可能になる。


依頼が来てから書こうなんておもってちゃ、
回転する作家にはなれない。
いつも回転していて、合間に依頼を入れるくらいが丁度いい。
posted by おおおかとしひこ at 15:06| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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