2018年11月12日

I was born to love youの歌詞の謎(「ボヘミアンラプソディー」評3)

気になって、僕がフレディの曲で一番好きな、
I was born to love youの歌詞について調べてみた。

(「ボーン・トゥ・ラブ・ユー」が邦題のようだ。
検索する時どっちもあってややこしい。
またこの曲はフレディのソロ時にCBSで作られた曲だが、
フレディの死後、ボーカルトラックにクイーンのバックトラックをミックスした、
EMIのクイーンの曲としても存在する。
我々がよく聞く、アサヒスーパードライはこのクイーン版のようだ。
だから僕はクイーンの代表曲と思っていたのだね。
ううむ、だとすると、和解は成立したものとして、
クイーン版のフレディのいないコンサートこそが、
映画「ボヘミアンラプソディー」のエンドロールになっても良かったんじゃないだろうか?
まあそうすると「ボーントゥラブユー」がタイトルになるけど)

で、この曲は一見、
「オラオラ系の俺がお前を口説くぜ」のように見える。
フレディのイケイケファッションや自信満々のパフォーマンスからも、
それは伺える。

しかしよく歌詞を吟味すると、そうじゃないんじゃないか、
と僕は思うのだ。


それはラストの二行だ。

I get so lonely, lonely, lonely, lonely.
Yeah, I want love you...

強烈にオレオレ口説きをしていたくせに、
そんなに弱気になってどうすんの?

これまでの強気一辺倒が、急にここで崩れる。

ここで本音が現れていると感じた。

つまり、wantなんだよ。
「愛を求めているが得られない男の歌」だと解釈すれば、
全てつじつまが合う。

このyouは服屋の彼女だと考えると、
映画内の辻褄が全て合うように思われる。

I was born to love youは、
得られなかった愛を、それでもその為に俺は生まれてきたのだと、
歌い上げる曲なのではないか?


こう考えると、中学の時に歌詞を見て、
ずっと疑問だった「single」の意味が通じる。

with every single beat of my heart
...
with every single day of my life

の対句になる部分の、singleの所がずっと意味がわからなかった。
every beatとeverydayでええやんか、
とずっと思っていて、
音の調子のためかなあと納得していた。

しかし映画を見れば解るとおり、
これはフレディが彼女の愛を得られなくなった時の曲であり、
死を身近に感じていた時の曲だ。

たった一日生きられるかどうか分からない日々で、
今日も君を愛し、
明日生きられるなら、明日も君を愛そう、
あと一回鼓動が鳴るかどうか分からないが、
一回鼓動が鳴るたびにあなたを愛そう、
(今は得られていないが)
の、一回の意味がsingleということだ。

lifeは人生じゃない。この場合、「命」と訳すべきだ。


なんと切ない歌詞か。

このイケイケの口説きは全て、
「仮にあなたを愛することが出来れば、言いたい言葉の集成」
なのである。


フレディの原曲はもっとシンプルなバックトラックだったそうだ。
しかしクイーン版は分厚いロックを足してきた。
だからこの曲は、
歌詞の意味とは真逆の、イケイケソングに化けたのではないか?

勿論、そのイケイケの分厚さは、
全部夢想である、
と哀しみは余計深くなっているのかも知れないが。



ああ、
だからこの歌をなぜクライマックスに持ってこなかったのか、
本当に惜しい。

フレディの本当の気持ち、
服屋の彼女への思い、
やっと得られたヒゲのおっさん、
観客やファンのみんな、
家族、
そしてクイーンのメンツたち。
その全てのyouを愛する為に、
一回鼓動が続くたびに、
俺は生まれてきたんだと実感できるということ。

それを死後メンバーたちが、
「クイーンの曲」として再生した魂のバトン。

それこそが、
映画としてのテーマになったのではないだろうか?



あとずっと気になっていた歌詞があって、
If I was given every opportunity,
I'd kill for your love
のkillの目的語がないんだよね。

僕はその目的語を、
「うまくいかなかった人生そのもの」
「神」「運命」なんて解釈する。

何をkillするのか、訳が非常に難しい歌詞だと思うが、
映画を見る限りはそのように思う。



なんてことを考えていたら、
https://nekoarukiwayaku.blogspot.com/2016/10/i-was-born-to-love-you-freddie-solo.html?m=1
で、
両バージョンの訳がありました。

なるほど、最後の二行はクイーン版で足されたと。
どっちとも解釈できるようにしたのかね。

でもフレディの歌い方を考えれば、
「イケイケの夢想を演じる、本当は哀しい男」
のほうが有力だと思うなあ。


それにしてもkillの目的語はなんなんだろうね。
万難を排して、程度の意味で良いのだろうか、
いや、the Godの歌詞があったけど削られた、
と見るほうがいいと思う。



こういうことをつらつら考える為に、
映画は断然字幕をすすめます。

I was born to love youはカラオケで歌うことにするわ…
posted by おおおかとしひこ at 14:19| Comment(3) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
大岡様 いつも読ませていただいています。この映画が、木曜日のクローズアップ現代で取り上げられていました。口コミで拡大中、クイーンを知らない世代にも大好評だそうです。私が気になったのは、脚本論の本筋とは違いますが、リピーターのことです。番組では、三回、人によっては十回以上観た方もいました。

これは、アニメ映画の熱心なファンならではの現象だと思っていただけに、一般の映画でもあるのだな、と驚いた次第です。失礼な言い方になってしまいますが、好きなものに異様にのめり込む心理はどこからくるのでしょうか。根拠はないのですが、現代的な現象という気がします。

この映画にのめり込んだ方が、同好の士を探そうとして検索をし、偶然大岡様の書かれたことを見つけ、腹を立て、感情的なコメントを書き散らす。今後起こりそうなパターンですね。

Posted by すーざん at 2018年12月07日 01:11
すーざんさんコメントありがとうございます。

I was born to love youが大トリだったら、
僕もリピートしたかもしれません。

この映画は、コンサートだと思います。
なにせ家のスピーカーでは聞けない音質で聴けるので。
CGでなんでも見れるようになってしまった今、
人を(とりあえず)圧倒するのは、音やパフォーマンス(芸)だと思います。

クイーンを知らない人たちがこの映画をみて、
こんなにパワフルな音楽があるのだと、
AKBとエグザイルと星野源しか聞いたことない若者が、
驚くのも無理はないと思います。
僕の音楽の基準はこのへんなので、
最近のヒットチャートなんか鼻くそ以下ですね。
フラッシュゴードンのテーマぐらい作ってみろやクソタイアップ。

耳糞程度の音楽しか聴いたことない人が、
すごい音楽に触れるのはよいことです。

アニメとの現代的共通点を言うと、
「点でしか触れていない」ということでしょうか。

クイーンもいればボブディランもいればアバもいればマイケルジャクソンもいれば、
プリンスもいればマドンナもいればシンディローパーもいれば…
などと80年代の音楽は全部線で繋がっているのですが、
フレディという点でしか知れないのは、
切ないことですな。
そのへんを担うのが解説であるべきなんだけど、
しかるべき解説をする人が誰もいない。
(僕はそこまで洋楽にはまったわけではないので、
詳しい人に任せます)
ストーリー映画としては微妙、という評価は僕の中で変わりませんが。

アニメもね、点なんだよね。
僕はヤマトやら銀河鉄道999から見てて、
エヴァまでで一応追いかけるのはやめましたが、
そういう線を知ってれば最近の点は小粒すぎて。

ファイアパンチも同じくかな。
熱狂的なファン、最近こないですね。
Posted by おおおかとしひこ at 2018年12月07日 02:11
大岡様 ご返信ありがとうございました。なるほど、と思いました。興味を持ったら幅を広げて、俯瞰する、というのではなく、一極集中で消費し、仲間内で完結するというのは、SNSで見られる現象と同じです。小粒なのは、泰平の世が長く続いたからでしょうか。逆に、格差が広がっている今後は、驚くような個性がポッと出てくるかもしれません。
Posted by すーざん at 2018年12月08日 17:03
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