例の騒動はおいといて、原曲にあたってみようと聞いてみる。
元々ヒップホップは、白人優位の社会に黒人がノーを言うための音楽だ。
ひいては社会やシステムに文句を言う音楽になった。
歌詞は何を言ってるかよく分からないが、
仮に「世界が滅びようとお前を愛する」
と言っていたとしても、
「人に文句を言いつづけているだけに見える」
不穏さは永遠につきまとうだろう。
文化には二種類ある。
破壊と創造だ。
ヒップホップ、パロディ、シュールなどは破壊に属する。
破壊すべき何かがあり、それが崩れる瞬間があるなら、
それらは強いだろう。
それが機能するのは文化がまだ若い時だと思う。
僕は、創造のほうを見たい。
BTSのファンは、何かに抑圧されていて、
何かを壊したい連中だろう。
しかしアナーキズムが結局何も生まなかったのと同じで、
クソフェミやポリコレが何も生まなかったのと同じで、
壊した先に何を作るのかが見えていない。
破壊をするだけならバカでもできる。
創造することのほうが遥かに偉大だ。
そしてヒップホップは「破壊するしかない」ほど追い詰められた、
切羽詰まった文脈の迫力がかつてはあった。
しかし彼らはそうではなさそうだ。ファッションヒップホップ。
命と引き換えにしてでもこれを言いたいわけではなさそうだ。
アーティストはキャラを立てないといけない。
壊し方のキャラで、そっちを選んだだけだろう。
音楽性というほどのものがないと思う。
つまりとても薄っぺらい。
不穏ファッションだと僕は見た。
ああ、ちょっと欅に似てるな。
2018年11月15日
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