天才とキチガイは紙一重です。
通常状態、社会的責任のある理性の状態では、
創作など出来ない。
そこからずれた半覚醒状態を長く保てないと、
トランス状態、いわゆる集中した空間を作れない。
そうじゃないと、
人は周囲に注意して危険を回避するように出来ている。
創作とは理性を一回殺すことだ。(そのあと復活させて修正する)
で、それと、統合失調と呼ばれている状態はわりとシームレスだ。
統合失調は不治の病ではなく、そこから元に戻れなくなった迷子というだけのこと。
(だからいわゆる正常に戻ることもある)
つまり脳機能は、理性のタガがはまった状態と、
不定な状態の二つを行き来しているだけに過ぎないと思う。
ちょっと深淵を覗いてみよう。覗かれないように気をつけて。
以下Wikiの「統合失調症/症状」から切り貼りしながら引用。
全然おれらにあてはまるやんか。
問題はたったひとつだけ。
ここから現実に帰ってこれるか、来れないかだけの違い。
私たちは妄想の世界で生きる。
現実と区別がついているかいないかだけだ。
帰ってこれないのを統合失調と名前をつけているだけに過ぎない。
以下引用。長いです。
<<行は僕のコメント。
思考過程の障害
話せない状況:考えが押し潰されて、まとまらない話になってしまう。
今までやってきたことは何だったのかという自己喪失に陥る。
<<ストーリーの挫折ぎりぎりのときによく起こる。
的外れな応答:他人の質問に対し、的外れな答えを返すことがある。
周囲の人間から、話をよく聞いていない人物と見なされることがある。
集中能力の喪失:テレビを視聴したり、新聞記事を読むことが困難となる。
異常なほどの思考・神経機能の使い過ぎ:思考や神経の安定性・リラクゼーションが保たれず、
絶えず考え・思考が浮かんでくると訴える自生思考
相手に自分の考えが知れ渡っていると解釈し思い込ませられる思考伝播、
自他の境界が曖昧になる境界障害
<<別のことで頭が一杯だからね。それがどう見られるかについても怯えている。
思考内容の障害(妄想)
ありえないことを事実だと完全に信じること。
<<それこそがフィクションの仕事です。以下、作者や登場人物に当てはまるもの多数。
被害妄想:「近所の住民に嫌がらせをされる」「通行人がすれ違いざまに自分に悪口を言う」
「自分の体臭を他人が悪臭だと感じている」などと思い込む。
関係妄想:周囲の出来事を全て自分に関係付けて考える。「あれは悪意の仄めかしだ」
「自分がある行動をするたびに他人が攻撃をしてくる」などと思い込む。
注察妄想:常に誰かに見張られていると思い込む。「近隣住民が常に自分を見張っている」
「盗聴器で盗聴されている」「思考盗聴されている」「監視カメラで監視されている」などと思い込む。
<<最近だと異常なエゴサーチですかね。
追跡妄想:誰かに追われていると思い込む。
心気妄想:重い体の病気にかかっていると思い込む。
誇大妄想:患者の実際の状態よりも、遥かに裕福だ、偉大だなどと思い込む。
宗教妄想:自分は神だ、などと思い込む。
<<このへんもよくあるよね。すげえ上がってすげえ落ち込む。
嫉妬妄想:配偶者や恋人が不貞を行っている等と思い込む。
恋愛妄想:異性に愛されていると思い込む。仕事で接する相手
(自分の元を訪れるクライアントなど)が、好意を持っていると思い込む場合もある。
被毒妄想:飲食物に毒が入っていると思い込む。
血統妄想:自分は貴人の隠し子だ、などと思い込む。
家族否認妄想:自分の家族は本当の家族ではないと思い込む。
物理的被影響妄想:電磁波で攻撃されている、などと思いこむ。
妄想気分:まわりで、何かただ事でないことが起きている感じがする、などと思いこむ。
世界没落体験:妄想気分の一つ、世界が今にも破滅するような感じがする、などと思いこむ。
<<これは現実世界との関係性による妄想だけど、
<<架空設定世界でこれをやることが、フィクションのストーリーそのもののような気がします。
自我意識の障害
自己と他者を区別することの障害である。一説に自己モニタリング機能の障害と言われている。
すなわち、自己モニタリング機能が正常に作動している人であれば、
空想時などに自己の脳の中で生じる内的な発声を外部からの音声だと知覚することはないが、
この機能が障害されている場合、外部からの音声だと知覚して幻聴が生じることになる。
音声に限らず、内的な思考を他者の考えと捉えると考想伝播につながり、
ひいては「考えが盗聴される」などという被害妄想、関係妄想につながることになる。
<<こんなん、創作中には普通ですやん。
<<登場人物が勝手に喋るし、解説するナレーターもいるし、
<<架空の評論家がたくさん湧いて出るよね。完結するまでこれは続くし。
考想操作(思考操作):他人の考えが入ってくると感じる。
世の中には自分を容易に操作できる者がいる、心理的に操られている、と感じる。
進むと、テレパシーで操られていると感じる。
考想奪取(思考奪取):自分の考えが他人に奪われていると感じる。
自分の考えが何らかの力により奪われていると感じる。
世の中には自らの考えがヒントになり、もっといい考えを出すものもいると感じる。
進むと、脳に直接力がおよび考えが奪われていると感じる。
<<盗作騒動はたくさんありますね。
考想伝播(思考伝播):自分の考えが他人に伝わっていると感じる。
世の中には洞察力の優れたものがいると感じる。その人に対して敏感になっている。
進むとテレパシーを発信していると感じる。
自生思考(思考即迫):常に頭の中に何らかの考え・思考があり、うつ病患者の症例に多い
「観念奔逸」と似て、思考がどんどん湧いてくる、思考が自らの意志でもっても抑えられない特有な思考の苦痛な異常状態をいう。
これは、統合失調症の陽性症状の中でも最も深刻で重要な精神症状であるとされる。
程度が重い患者では、頭の中が不自然な思考の熱状態で気がめいり、
頭の中がとても騒がしく落ち着かないと訴え思える様な心理状態になる。
<<多重人格障害は主役が切り替わるだけのような。
<<複数の登場人物の立場を入れ替えて考えたりしていれば、
<<ふつうにこれが起こるよね。
考想察知(思考察知):自分の考えは他人に知られていると感じる。
世の中には自分の考えを言動から読めるものがいると感じる。
進むと、自分は考えを知られてしまう特別な存在と感じる。
自らのプライドを高く実際を認められずに、被害的にとらえてしまう。
進むと、考想が自己と他者との間でテレパシーのように交信できるようになったと考え、
波長が一致していると感じる。
強迫思考:自生思考と似て、ある考えを考えないと気が済まない、
考えたくもない、あってはならない考えが不自然に浮かび上がり、
他人に考えさせられていると感じられる様な尋常ではない状態をいう。
中には、読書をする際に、「この部分を何回読まないと頭に記憶されない、覚えられない」
といった内容の不合理な思考が瞬間的および随伴的に浮かぶ「文字強迫」などの症状が
表面化されることもある。統合失調症の患者の中には、
こうした抗不安薬などの服用でも効果および治癒率が低いとされる強迫性障害(旧名:強迫神経症)
を発病当初から慢性的に同時に併せ持つ型の人もいるとされる。
<<色々ありますが、程度の差の違いで、殆どの創作過程であることです。
<<引用ここまで。
つまり、
「この領域に行くことが創作、
帰ってこれれば正常扱い、帰ってこれなければ異常扱い」
というだけに過ぎないことが、
創作経験が長ければ長いほどわかるかもしれない。
創作とは、
少し間違えば異常扱いされることと、
関係した脳の機能だと僕は考えている。
そして、脳の回復は睡眠(自力回復)と栄養だ。
つまり「焼肉食って銭湯行って爆睡」が一番です。
脳機能は物理なので、物理で回復が一番です。
麻薬が、人為的にこのトランス状態にすることが出来るそうだ。
伝聞形式なのはクスリをまだやったことがないので。
でも理屈ではこれと同じことを薬物=脳変性物質は引き起こす。
認識の歪みを引き起こすだけだからね。
創作の場合、自分の意思で行って帰ってくる。
薬物は強制的にここに行って、中毒性のため戻ってこれない。
「アイデアが出ない」とヤクに走り、
アイデアを出すような作家は、ドーピングしてるんだね。
ドーピングだから反動がきついのさ。
(ステロイドを若い時にやり過ぎた格闘家たちは、
大体脳の病=鬱に苦しみ、非業の最期を遂げている。
マイクベルナルドなんてナイフで自分の首を切って死んだんだ)
こういう場所に、
ナチュラルに探索して、
ナチュラルに帰ってこれるのが、
本物の作家だぜ。
冨樫義博という人は、
この境界線ギリギリで生きている人だと思う。
闇をもてはやすようになったのはここ15年くらいだと思うけど、
時代に乗っかってるよね。
鴨川つばめ、新沢基栄なんかは、向こうに行ってしまった。
古谷実はそれを創作に生かそうと懸命に努力しているが、
なかなかこっちに戻ってこれない。
ちょっと山に行って山菜とってくる、
という感覚の、
山慣れしてる人になりなさい。
創作という山、つまり脳の中は危険がいっぱいだ。
闇をよく知れば、どこに光を当てればいいかよくわかるぞ。
深淵を覗くときは、深淵に足を取られないことだ。
創作は、山に行き、山菜を採って終わりではない。
そこから料理して初めて作品だ。
つまり理性でそれをさばき、
人類社会にとって価値があることに作り変えなければならない。
前半は薬でも初心者でも偶然でも出来る。
後半の方が難しく、価値がある。
創作とはコントロールされた狂気、
というのはそういうことだ。
僕らは価値のあることをするべきで、
脳内妄想を垂れ流しておしまいではないのだ。
最近の話題であるクイーンの曲で言えば、
ただの妄想が「ボヘミアンラプソディー」、
価値のあることが「I was born to love you」である。
前者は「闇に堕ちる魅力」、
後者は「社会に与える影響力」だ。
前者は閉じていて、
後者は開いている。
聞いたことはありますし、それが統合失調症と、
見かけ上区別がつかないことも理解しています。
多くの陰謀論の根拠にもなっているでしょう。
問題は、それを実行するだけの組織力が本当にあるか、
ということですね。
人間の組織は、会社勤めでもすれば明らかですが、
案外間抜けなもので、全く統制が取れていないものです。
そこから色々破綻することもよくあること。
今少なくとも日本には、そこまで組織力がある人達がいるとは、
とりあえず信じがたいですねえ。
とはいえ、盗聴被害があるのも現実なので、
「木を隠すなら森の中」をうまくやった人が勝つ気がします。
マルサの女3……。
【ストーリー】
暴力団対策法で悪さしづらくなった暴力団に変わり宗教団体が先鋭化。
ストーカー規制法の取り締まり対象に好意の感情を入れ込み、個人情報保護法も推進。これは嫌がらせを警察に捜査させないための布石だった。
民事不介入の社会の中、組織による個人への迫害が激化。
警察、政府がひた隠す本当の治安を感じ、主人公〇〇はこの国は本当に平和なのかと疑問をもつ。
宗教団体信者の勘違いにより、〇〇は信じていなかった集団ストーカー・テクノロジー犯罪の闇に引きずり込まれる。
大岡さんはこの題材興味ありませんか?
そのストーリー自体は普遍的なものなので、
そこまで興味がないですね。
(ジョン・ナッシュの生涯「ビューティフルマインド」
の方がしっかり纏まっていて面白かった。
逆の意味になるけど)
実際に映画化しようとしたら、
その組織そのものの手口を取材しなければならず、
それを公開するのを彼らは嫌がるだろうから、
少し前の手口になり、それでは映画として陳腐化してしまう、
というジレンマがあると思われます。
伊丹はそこに深入りして不審死を遂げました。
自殺と公式発表されていますが、
今尚取材している人はいると聞きます。
オウムの件でもそうですが、宗教が力を持つのは、
ただ教義だけではなかったりします。
そしてそれが、
ジャーナリズムにはなっても、
娯楽映画になるとはなかなか思えないですねえ。
リスクとコストと、リターンが合ってないですね。