ものづくりにはどうしてもこれが必要だけれど、
どうもこれはネットと相性が悪いんじゃないかと考える。
デジタルができたときは、
「永遠に劣化しない」がアナログに比べた優位点だった。
だから初期のデジタルは、「永遠に価値あるもののアーカイブ」
が中心だったと考える。
しかし今のデジタルの優位性は、
「更新の容易さ」ではないかと考える。
だから吟味もされない情報がアホほどタイムラインに流れて行く。
ネットは静止より流動なものとなった。
その激流の中で、
一つ所にとどまってじっくり考えることは、
意外と現代人は苦手としているかも知れない。
物語を作ることは、
ある発想が閃いたらそれで終わりではない。
そのアイデアに基づいた起承転結を作り、
それに相応しいキャラを創作し、
それに相応しい世界を創造し、
取材をして、
それがリアリティあるような設定を考え、
きちんとテーマに落ちるように、
色々なものを整えなければならない。
短編5分ぐらいなら、まあ一日あれば出来るかも知れないが、
こと30分、二時間となると、
何日も何ヶ月も、
「同じ作品のことをずっと考えている」状態になる。
ちょっと長い作品に関われば、
季節が一つすぎてるなんて当たり前だし、
「てんぐ探偵」なんて何年前から手をつけているというのだ。
こういうことは、
デジタルの彼方に飛んで行くタイムラインばかり見ていると、
真逆のようなことのように思える。
むしろ、
デジタルの初期のように、
「永遠に続く価値」のために、
アナログでものづくりをしている感覚になる。
彫刻家とか、そんな感じ。
結局はものづくりというのは、
「その時間停止した場所で、
徹底的に思考して、
一つの答えが出せるまでやれるのか」
ということと関係しているような気がする。
まあまあのものが出来てリリースしたって、
まあまあでしかないから、
タイムラインですっ飛んで行くだけだ。
何回もリライトして、
より面白く、より出来を良くするのは、
結局は「永遠の価値」を作ることをしているのだろう。
その、ずっと続く思考に耐えられるかどうかが、
結局は作品の深みに関わってくるのではないかなあ。
逆にいうと、
ストーリーは、
2、3日でパッと出来る思考量では、
どうにもならないほどの思考を必要とする。
研究とかに近いのかも知れない。
僕は研究者肌だと自覚してるので、
こう考える。
ストーリーは時代の波に乗ることだ、
タイムラインの彼方に飛んでけばいいのさ、
と考える人は、
どこかにいるかも知れないが、
それは多分支離滅裂な、
その場限りのなにかをするだけに過ぎず、
結局は何にもならないストーリーでしかないと、
僕は思う。(例: ファイアパンチ)
あなたは何ヶ月それのことを考え続けたのか?
それがとても面白いことになっているなら、
多分それは何ヶ月ぶんかは面白い。
逆にいうと、2、3日で考えたストーリーなんて、
2、3日で飽きるぜ。
(そこから永遠に価値があるものになるかは、
他との関係で決まる。絶対的には決まらない)
2018年11月16日
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