2018年11月16日

持続した思考

ものづくりにはどうしてもこれが必要だけれど、
どうもこれはネットと相性が悪いんじゃないかと考える。

デジタルができたときは、
「永遠に劣化しない」がアナログに比べた優位点だった。
だから初期のデジタルは、「永遠に価値あるもののアーカイブ」
が中心だったと考える。
しかし今のデジタルの優位性は、
「更新の容易さ」ではないかと考える。
だから吟味もされない情報がアホほどタイムラインに流れて行く。

ネットは静止より流動なものとなった。
その激流の中で、
一つ所にとどまってじっくり考えることは、
意外と現代人は苦手としているかも知れない。




物語を作ることは、
ある発想が閃いたらそれで終わりではない。

そのアイデアに基づいた起承転結を作り、
それに相応しいキャラを創作し、
それに相応しい世界を創造し、
取材をして、
それがリアリティあるような設定を考え、
きちんとテーマに落ちるように、
色々なものを整えなければならない。


短編5分ぐらいなら、まあ一日あれば出来るかも知れないが、
こと30分、二時間となると、
何日も何ヶ月も、
「同じ作品のことをずっと考えている」状態になる。

ちょっと長い作品に関われば、
季節が一つすぎてるなんて当たり前だし、
「てんぐ探偵」なんて何年前から手をつけているというのだ。

こういうことは、
デジタルの彼方に飛んで行くタイムラインばかり見ていると、
真逆のようなことのように思える。

むしろ、
デジタルの初期のように、
「永遠に続く価値」のために、
アナログでものづくりをしている感覚になる。

彫刻家とか、そんな感じ。


結局はものづくりというのは、
「その時間停止した場所で、
徹底的に思考して、
一つの答えが出せるまでやれるのか」
ということと関係しているような気がする。

まあまあのものが出来てリリースしたって、
まあまあでしかないから、
タイムラインですっ飛んで行くだけだ。

何回もリライトして、
より面白く、より出来を良くするのは、
結局は「永遠の価値」を作ることをしているのだろう。


その、ずっと続く思考に耐えられるかどうかが、
結局は作品の深みに関わってくるのではないかなあ。

逆にいうと、
ストーリーは、
2、3日でパッと出来る思考量では、
どうにもならないほどの思考を必要とする。

研究とかに近いのかも知れない。

僕は研究者肌だと自覚してるので、
こう考える。


ストーリーは時代の波に乗ることだ、
タイムラインの彼方に飛んでけばいいのさ、
と考える人は、
どこかにいるかも知れないが、
それは多分支離滅裂な、
その場限りのなにかをするだけに過ぎず、
結局は何にもならないストーリーでしかないと、
僕は思う。(例: ファイアパンチ)


あなたは何ヶ月それのことを考え続けたのか?
それがとても面白いことになっているなら、
多分それは何ヶ月ぶんかは面白い。

逆にいうと、2、3日で考えたストーリーなんて、
2、3日で飽きるぜ。

(そこから永遠に価値があるものになるかは、
他との関係で決まる。絶対的には決まらない)
posted by おおおかとしひこ at 13:17| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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