ただ面白いことを企画するのなんて、
小学生でも出来る。
面白いことを言えばいいからね。
問題は、
それがこういう意味になる、まで出来ていること。
これが出来ていないのは企画とは言わないし、
それが出来ない人は企画力がない。
ただ面白いことを言うだけなら、
芸人でも出来るし、
売店のおばちゃんでも出来るし、
下ネタを連発するおじさんでも出来る。
それはただの空騒ぎであり企画とは言わない。
企画とは、
「その面白いことが、どう言う意味に落ちるのか」
を意味する。
今年の忘年会の企画を考えて、
と言われた時、
「全員でフレディマーキュリーのモノマネしましょう!」
はただの面白いことに過ぎない。
しかしこれが音楽関係者の忘年会なら、
途端に意味をなしてくる。
あるいは、ゲイの集団の忘年会でも意味をなすだろう。
「ただの空騒ぎではない、
音楽は素晴らしいとか、
ゲイの憧れとかの、
意味が生じる」からである。
その「面白げなこと」は、
結局、(その集団にとって)どういう意味があるのか?
その、
面白げなことと意味との接続が、
「企画」だと僕は思う。
もっとも、忘年会は、
「なんでもいいから馬鹿騒ぎして、
今年の嫌なことを忘れよう」なんて意味もあるから、
全員つけ髭でランニングシャツで馬鹿騒ぎすることも、
それなりに意味があるかもしれないが。
さて、
音楽関係者やゲイという、少なめの集団ならば、
その集団にとっての意味を見出すことは、
比較的容易いだろう。
映画や物語が扱うのはその狭い集団ではない。
いま、この世界の全ての人が、
集団の対象になってくる。
ゲイを喜ばせる意味と、
全人類を喜ばせる意味は次元が異なる。
音楽関係者を勇気付ける意味と、
全人類を勇気付ける意味は、次元が異なる。
あなたは、全人類に対して、
面白いことを考えて、
それがどういう意味があるのか、
落ちをつけなければならない。
面白げなことは、ガワという。
そのガワが、
どういう意味に帰着するのかという落ちがあり、
なるほどその落ちへの前振りとして、
そのガワは最も的確な題材である、
というときに、
それは企画力があるという。
ただ面白いことを持ってきて企画なんて言ってる奴は、
企画の素人だ。
最近そんな企画でないものを企画というやつが増えて、
少し疲れている。
2018年11月20日
この記事へのコメント
コメントを書く