2018年11月20日

企画力とはなにか

ただ面白いことを企画するのなんて、
小学生でも出来る。
面白いことを言えばいいからね。

問題は、
それがこういう意味になる、まで出来ていること。
これが出来ていないのは企画とは言わないし、
それが出来ない人は企画力がない。


ただ面白いことを言うだけなら、
芸人でも出来るし、
売店のおばちゃんでも出来るし、
下ネタを連発するおじさんでも出来る。

それはただの空騒ぎであり企画とは言わない。

企画とは、
「その面白いことが、どう言う意味に落ちるのか」
を意味する。

今年の忘年会の企画を考えて、
と言われた時、
「全員でフレディマーキュリーのモノマネしましょう!」
はただの面白いことに過ぎない。

しかしこれが音楽関係者の忘年会なら、
途端に意味をなしてくる。
あるいは、ゲイの集団の忘年会でも意味をなすだろう。

「ただの空騒ぎではない、
音楽は素晴らしいとか、
ゲイの憧れとかの、
意味が生じる」からである。


その「面白げなこと」は、
結局、(その集団にとって)どういう意味があるのか?
その、
面白げなことと意味との接続が、
「企画」だと僕は思う。


もっとも、忘年会は、
「なんでもいいから馬鹿騒ぎして、
今年の嫌なことを忘れよう」なんて意味もあるから、
全員つけ髭でランニングシャツで馬鹿騒ぎすることも、
それなりに意味があるかもしれないが。


さて、
音楽関係者やゲイという、少なめの集団ならば、
その集団にとっての意味を見出すことは、
比較的容易いだろう。

映画や物語が扱うのはその狭い集団ではない。

いま、この世界の全ての人が、
集団の対象になってくる。


ゲイを喜ばせる意味と、
全人類を喜ばせる意味は次元が異なる。
音楽関係者を勇気付ける意味と、
全人類を勇気付ける意味は、次元が異なる。

あなたは、全人類に対して、
面白いことを考えて、
それがどういう意味があるのか、
落ちをつけなければならない。


面白げなことは、ガワという。
そのガワが、
どういう意味に帰着するのかという落ちがあり、
なるほどその落ちへの前振りとして、
そのガワは最も的確な題材である、
というときに、
それは企画力があるという。


ただ面白いことを持ってきて企画なんて言ってる奴は、
企画の素人だ。

最近そんな企画でないものを企画というやつが増えて、
少し疲れている。
posted by おおおかとしひこ at 13:35| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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