迷路が好きだった人は、
「この世には構造があり、唯一の正解、最適解がある」
という世界観を持っていると思う。
逆を考えれば、これは絶対ではないことがわかる。
「この世は流れていて、正解も不正解も不透明だ。
よさげな波に乗るだけ」
というのが真逆の考えだ。
これは人類の対極の考え方かもだ。
ときたま男女論を書いたりするけれど、
これは差が大きくて、
人と人の差(コンフリクトの原因)を認識しやすいからだ。
今回も前者は男脳的な考え方で、
後者は女脳的な考え方である、
と認識するとわかりやすいかもしれない。
つまり、
男は迷路が好きで、
女は迷路が嫌いなのではないか、
という仮説が出てくる。
幼少の頃迷路をノートに書いていたのは、
圧倒的に男が多いはず、
と仮説を立てて見る。
女は、男から見れば気まぐれで、地図を読めず、
ムードに弱く、全体的なことより自分の快楽や気分を優先するように見える。
女から見れば、男は、
マウンティングに敏感で、地図が読めて、
自分には見えてないところまで見えていて、浮気をする。
これは、迷路的世界観と、非迷路的世界観の差を考えれば、
たちどころに理解できるような気がする。
両者にとって、
世界の構造や、快感に感じる原理が違う、
ということが言えるような気がする。
セクハラやパワハラが急に問題になっているのは、
男優位の体育会系に、
女が馴染めなくて文句を言っているようにしか、
男からは見えない。
仮に女社会に男が入って、
男が文句を言っても、
社会問題にはならないだろう。
それは「女が地位が低い」ということが言い訳になるからである。
非迷路的な女社会に馴染めない、
迷路的な男が、精神を病んだとしても、
労災は降りないだろうね。
ハラスメントは社会をだめにする。
ハラスメントを恐れてビクビクしてる会社は、
全然風が吹いていない。
理解しあえないのを前提として、
相手の文化を潰さないような社会はないのだろうか?
ACのCMなら簡単にできるよ。
女ばかりの会社に入った一人だけ男。
「これいいー」「わかるー」「それなー」と女たちが言う。
「僕は違うと思います」と男が言うと驚かれる。
「いまわたし達は共感してるのに、
どうして共感しないの?」
「トイレ一緒に行こうよ」と女達。
男しょうがなく付き合う。
トイレに行っても出ないが、
出たふりをしてトイレから出てくる女子を待つ。
ロボットのフィギュアや迷路を机の上に置いていたが、
それを全部捨てられる。
「あれは小学校からの宝物で…」
「要らないと思った」
「そんなバカな!」切れる男。
「要らないよねあんなの」と他の女達に言う女。
「うん。わたしもいらない」「だよねー」「わかるー」
「怖い人やだー」「やだー」「理解できないー」
女達が皆同じ顔に見えてくる。
女全員「あなた気持ち悪い」
男、飛び降り自殺。
コピー「分かり合えないことは、分からないまま大事にしてあげよう。
それが分かり合えること。」
これはセクハラを逆側から見たものだ。
迷路的な世界観のすれ違いを、
別の何かで表現すればこうなるわけだ。
母親と男の子の話でも作れる(それこそ迷路を破り捨ててもいい)し、
男女逆にして、「共感がなくマウンティングの社会」に傷つく女の話にすれば、
今の社会かもしれない。
もちろん、男女の話にせずに、
全く違う宇宙人同士の話にして、
戦争になってもいいだろう。
迷路的世界観と、非迷路的世界観は、
相容れない、真逆の世界だ。
物語の中では敵同士になり、殺しあう。
現実の世界では殺しあうか、共存するかだ。
ニューヨークは人種のるつぼとはもう言わず、
人種のサラダボウルというそうだ、
という話は前にも書いた。
るつぼなら溶け合うが、
サラダは溶けずにただ隣にいるだけの混ざり方だから、
というのがその理由らしい。
わかり合うことは、融合することではなく、
ただ隣にいることかもしれない。
迷路のことからここまで考えた。
最近出世する男は、非迷路的な男が多いような気がして、
僕は会社で孤立しがちだ。
原理原則に立ち戻るvs現状に合わせて変える
で、負けが込んで、
作品性がぐずぐずになっているね。
結局、
優秀な方が非優秀な方に合わせるしか、
共存の解決がないことが、
この問題をややこしくしている。
彼らは「なんで私たちのいうことを聞かないの?」
と疎んじるだけだからだ。
これは男女の問題ではなく、
いずれ移民の問題にもなってゆくだろう。
均質を前提とした日本人は、
そこら中で病むかもね。
2018年11月23日
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