2018年11月23日

ストーリーと日記の違い

因果関係があるのがストーリー。ないのが日記。

「4月が終わった。5月になった。」は日記。
「4月に終わったがゆえに、5月になった。」がストーリー。

4月が5月の原因に、
5月が4月の結果にならなくてはストーリーではない。
そして勿論、4月ゆえに5月にはならない。
ストーリーにしてみるとしよう。



たとえば、
「新入社員になり、環境も変わってあたふたしている間に、
4月が終わってしまった。
5月になると一旦落ち着き、
4月の忙しさが実感できた」

というようなことがあれば、
4月ゆえに5月、と因果関係を結ぶことができるだろう。

カレンダーが進んだから4月は5月になるのは、
ただの日記だ。

主体は時間(天体の運行)か、人間か、
といっても過言ではない。

そして人間は、行動することで時を刻む。
行動したからどうなったか、
という一連(何段階行動しても良い)が、
ストーリーになる。

上の例では主体的行動ではないが、
周りに合わせて行動することも行動であるから、
日記の枠を出ていることになる。


で、
もうひとつ、ストーリーには落ちが必要だ。

「だからなんなん?」だ。

落ちのないストーリーは、
「ストーリーになりかけたもの」に過ぎない。
(だから完結までいかないものは、
ストーリーではなく、断片である)

上の例でいうと、
「心を亡くすと書いて忙しいである。
忙しさの中にも心を取り戻す時間を作ろう」
なんて締めくくれば、
4月と5月の話には意味が出てくるわけだ。

もちろん、
これはあくまで例なので、
たいして面白くない意味なのは勘弁していただきたい。



もしあなたの書いているストーリーで、
このようにただ単純に時が過ぎるシーンがあるかもしれない。
そこはストーリーではないから、
バッサリ切って、
「次の日」とタイトルを入れて、
次のストーリー部分へ直結する
(前のシーンの尻が次のシーンの原因になっている)
ことも可能であることを知ろう。

勿論情緒的にその時が過ぎ行くシーンは良ければ、
あとあと復活させればよいだけのことだ。

で。
ストーリーだけのシーンに凝縮したものを、
脚本では最も尊ばれるというだけのこと。

何かは何かの原因または結果になっている。
そして最後の結果は、これまでの全てが原因になり、総括される。
その鎖のセットを、一言でストーリーという。
posted by おおおかとしひこ at 15:01| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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